対馬市立東小学校(つしましりつ ひがししょうがっこう, Tsushima City Higashi Elementary School)は長崎県対馬市峰町[1]佐賀(さか)にある公立小学校。
概要
歴史
- 2003年(平成15年)に峰町立佐賀小学校(さか)が峰町立志多賀小学校(したか)を吸収した上で、校名を「峰町立東小学校」に改称した[2]。翌2004年(平成16年)の対馬市発足で現校名となった。
校区
- 住所表記で、対馬市峰町[1]の後に「佐賀(さか)、櫛(くし)、志多賀(したか)」の続く地区[3]。
- 中学校区は対馬市立東部中学校。
沿革
- 旧・櫛小学校
- 最終所在地 - 峰町櫛218番地 (佐賀地区より南側にある、北緯34度26分7.4秒 東経129度21分52.7秒)
- 1885年(明治18年)- 「仁田学区公立中等仁田小学校下等櫛分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、簡易科を設置し「簡易櫛小学校」となる。
- 1891年(明治24年)- 尋常科を設置し「尋常櫛小学校」となる。
- 1893年(明治26年)- 「櫛尋常小学校」に改称。
- 1882年(明治28年)- 校舎が完成。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1915年(大正4年)- 新校地に校舎を建設し移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「櫛国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。児童増により校舎を増築。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・櫛国民学校を改組し、「峰村立櫛小学校」とする。
- 1956年(昭和31年)1月 - 最終校地に校舎・集会場が完成し移転。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 峰町の発足により、「峰町立櫛小学校」(最終名)と改称。
- 1994年(平成4年)3月31日 - 廃止。
- 旧・志多賀小学校
- 最終所在地 - 峰町志多賀213番地 (佐賀地区より北側にある、北緯34度28分59.974秒 東経129度23分46.709秒)
- 1875年(明治8年)3月 - 「第五大学区第四中学区[4]志多賀村二十番小学志多賀学校」が開校[5]。廃寺・東月寺を仮校舎として使用。
- 1882年(明治15年)- 校舎が完成。
- 1885年(明治18年)- 「仁田学区公立中等仁田小学校下等志多賀分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、尋常科を設置し「尋常志多賀小学校」となる。
- 1893年(明治26年)- 「志多賀尋常小学校」に改称。
- 1903年(明治36年)- 字・江尻に校舎を新築。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1922年(大正11年)- 児童数増加のため、仮教室を拡張。
- 1927年(昭和2年)- 字・権現平に校地を移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「志多賀国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・志多賀国民学校を改組し、「峰村立志多賀小学校」とする。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 志多賀分校が峰村立東部中学校より分離し、峰村立志多賀中学校として独立。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 峰町の発足により、「峰町立志多賀小学校・中学校」(最終名)と改称。
- 1980年(昭和55年)- 校舎を改築。
- 1983年(昭和58年)- 体育館が完成。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 志多賀中学校が峰町立東部中学校への統合により閉校。これにより小学校単独となる。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 廃止。
アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの県道
周辺
脚注
参考文献
- 「峰町誌」(1993年(平成5年)6月30日発行 峰町)p.1274~
関連項目