対決!スーパーカークイズ
『対決!スーパーカークイズ』(たいけつ スーパーカークイズ)は、1977年7月4日から1978年10月2日まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていたクイズ番組である。その後も1978年10月16日から1979年3月26日まで『対決!チャレンジクイズ』と題して放送されていた。いずれも放送時間は毎週月曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。 概要対決!スーパーカークイズ当時爆発的なブームになっていたスーパーカーをクイズの題材にしていた番組。株式会社二見書房出版の“カード式ザ・スーパーカー”を基に番組が構成されていた。参加者はスーパーカーファンを自認する幼稚園児や小中学生たちで、スーパーカーの映像や音楽を駆使した問題に答えていた。司会は山田隆夫と歴代の女性アシスタントたちが務めていた。 番組終盤では、筑波サーキットで2台の車が速さを競うレース企画が行われていた[1]。初期には0→400m(ゼロヨン)を競う[要説明]映像だったが、中期にはサーキットを1周するレースにスケールアップした。特別編で吹雪の鈴鹿サーキットにおける幻のポルシェ・934とランボルギーニ・イオタの対決等もあった。参加ドライバーは星野一義をはじめとする日本の有名レーサーたちで、彼らによるレースを日産レーシングスクールの辻本征一郎が解説していた。 この番組は、全国各地のテレビ局でテープネットされていた。東海テレビでは同じ日時に放送されていた。 対決!チャレンジクイズ上記『対決!スーパーカークイズ』のリニューアル版。スーパーカーブームが一段落したことから、この番組ではスーパーカー以外の問題も出されるようになり、毎週参加者4人が優勝を競う形式になった。司会は『対決!スーパーカークイズ』時代のメンバーが引き続き行っており、番組終盤のレース企画も同様に行われていた。 出演者司会アシスタントコーナー担当者ナレータースタッフ
ルール対決!スーパーカークイズ1対1の早押しクイズ。1問正解につき1ポイントを獲得でき、不正解の場合には解答権が対戦相手に移った。途中から、それと同時に次の問題で1回休みとなるペナルティも付くようになった。 3ポイント獲得で1人勝ち抜きとなり、負けた側の解答者が別の解答者と交代して次の対戦へ移行。 3人勝ち抜きでチャンピオンに認定され、そこでクイズは終了。賞品は腕時計、カメラ、スポーツ用具などで、勝ち抜き人数に応じて各種賞品が贈られた。 3人勝ち抜きチャンピオンが何人か出た後には、その中から選ばれた4人によって「グランドチャンピオン大会」が行われた。第1回では出場者4人によるトーナメント戦で、勝者がグランドチャンピオンに認定。第2回目以降は出場者4人によるトーナメント戦勝者と前回のグランドチャンピオンが最後に対戦し、その勝者が新しいグランドチャンピオンに認定された。 対決!チャレンジクイズ早押しクイズ。1問正解につき1ポイントを獲得でき、不正解の場合には1ポイントを引かれた。 3ポイントに到達すると「ラッキーチャンス」となり、次の問題をその解答者が正解すると2ポイント獲得できた。他の解答者が正解した場合には通常通り1ポイントを獲得。また、最終問題は「ラストチャンス」で、正解者は2ポイントを獲得できた。8ポイントに到達するとチャンピオンとなり、その解答者はクイズから抜ける。残りの解答者はクイズを続行。 最終的に3ポイント以上を獲得していれば、ポイントに応じた賞品を獲得できた。 音楽テーマ曲
コーナー曲後期には、司会の山田がスーパーカーをモチーフにしたコミカルな歌を歌うコーナーがあった。 この2曲を収めたレコードが1978年4月に東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック合同会社)から発売された。「スーパーカーなーんちゃって」がA面曲に、「僕はカウンタックマン」がB面曲になっている。 後日談本番組はスーパーカーブームを象徴する人気番組であり、2016年2月21日に同系列局で放送された『テレビ東京52年分の映像大放出!モヤモヤ映像廃棄センター〜こんなVTR新社屋に持って行けません〜』でもリクエストの多い番組と紹介された。しかし、1インチVTRは導入されておらず、当時の放送用テープが使い回しの一般的な2インチVTRを用いていたこともあり、本番組の映像はテレビ東京に1本も残されていないことが判明した。 しかし、本番組への出演経験のある切替徹が番組を録画したビデオテープ(VHSビデオ)を持っていたことが分かり、同特番でその映像が公開された。また切替からのテープの提供を受け、テレビ東京のアーカイブスにて保存されることとなった[4]。 脚注
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