富山県立大沢野工業高等学校(とやまけんりつ おおさわのこうぎょうこうとうがっこう、英: Toyama Prefectural Osawano Technical High School)は、かつて富山県富山市坂本にあった公立の工業高等学校。富山県立富山工業高等学校との統合により、2012年(平成24年)3月末に閉校した。
設置学科
- 機械科 1学級40名編成(2009年度末で募集停止)
- 電子機械科 1学級40名編成(2009年度末で募集停止)
- 電気情報科 1学級40名編成(2006年、電気科と情報技術科の統合により新設、2009年度末で募集停止)
- 情報技術科(2006年度末で学科廃止)
- 電気科(2006年度末で学科廃止)
校歌
作詞:大島文雄、作曲:團伊玖磨
部活動
運動部では、ボート部が全国大会で優勝するなどの実績がある。
委員会
沿革
- 1959年(昭和34年)
- 4月13日 - 富山県立富山工業高等学校大沢野分校として、当時の大沢野中学校内に仮校舎を設けて、電気通信課程80名の生徒の新入生を迎え開校した[1]。
- 9月12日 - 坂本馬鞍谷割(俗称カクレザト)の畑地約10,000m2を買収し、旧大沢野小学校校舎を移築改造した校舎の建設に着手[2]。
- 1960年(昭和35年)1月29日 - 校舎第1期工事完成[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 増築起工式[6]。
- 1964年(昭和39年)
- 4月10日 - 本館のうち1,500m2(鉄筋4階建て)と機械金属実習室(1,122m2)が完成[7]。
- 12月20日 - 第2期工事(本館鉄筋コンクリート4階建て960m2、金属実習室鉄筋コンクリート3階建て508m2、実習室平屋建鉄骨392m2)が完成[8]。
- 1967年(昭和42年)11月1日 - 全工事完了(設計は飯森建築事務所、施工は真柄組の請負)[9]。
- 2006年(平成18年)- この年度から機械科40名、電子機械科40名、電気情報科40名の3学科3学級編成(1学年120名)となる。
- 2009年(平成20年)
- - 富山工業高等学校との統合に伴い、2010年(平成21年)度以降の全学科募集を停止。
- - この年、最後となる旭が丘展(文化祭)が開催された。
- 2012年(平成24年)
- 3月3日 - 最後の学年(2009年度入学生)対象の卒業証書授与式と閉校式を挙行。
- 3月31日 - 閉校。
その他
アクセス
- バス(富山地方鉄道)の場合
- 富山駅前~田村町(31、32系統):所要時間約30分、距離約13km
- 富山駅前~大沢野工業高校口(38系統):所要時間約30分、距離約13km
- 笹津駅前~田村町(31、32系統):所要時間約7分、距離約4km
- 鉄道(JR高山本線)の場合
主な出身者
脚注
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)94頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)102頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)109頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)143頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)156頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)172頁。
- ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)210頁。
- ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)226頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)283 - 284頁。
関連項目
外部リンク