宮尾幹
宮尾 幹(みやお ただす[1]、1892年(明治25年)11月22日[2] - 1958年(昭和33年)1月26日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1] 経歴1892年(明治25年)に熊本県で生まれた[2]。陸軍士官学校第25期卒業[2]。1939年(昭和14年)5月17日に独立野砲兵第1連隊長に就任し[1]、8月1日に陸軍砲兵大佐に進級した[1]。1942年(昭和17年)9月に第5軍兵器部長に転じた[1]。 本土決戦に備えるために内地に帰還し[2]、1945年(昭和20年)1月20日に中部軍兵器部長に就任し[3]、1月29日に中部軍管区兵器部長兼第15方面軍兵器部長に就任し[4]、3月1日に陸軍少将に進級[1]。大阪府で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。 栄典脚注参考文献
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