安藤正甫
安藤 正甫(あんどう まさよし)は、江戸時代中期の旗本・茶人。通称は岩之丞、次(治)右衛門。号は二橋観、二橋庵。阿久和安藤家7代。 略歴安藤定殻の子として誕生。初名を定寿。 寛延2年(1749年)、父が没し家督を継ぐ。宝暦13年(1763年)、武蔵国入間郡内の領地を下総国香取郡内に移される。明和5年(1768年)に小姓組番士、安永8年(1779年)使番となり、布衣を許された。天明8年(1788年)職を辞して寄合となった。田原藩4代藩主・三宅康高に南坊流茶法を学んだ。 寛政2年(1790年)59歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。 系譜参考文献
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