安芸高田市サッカー公園
![]() サンフレパーク 安芸高田市サッカー公園(サンフレパーク あきたかたしサッカーこうえん)は、広島県安芸高田市吉田町にあるサッカーグラウンド。旧称・吉田サッカー公園。 施設は安芸高田市が所有し、2022年4月1日より(株)サンフレッチェ広島が指定管理者として運営管理を行っている[1]。2024年よりサンフレパークの愛称が付く。 主にJリーグサンフレッチェ広島トップチームおよびサンフレッチェ広島ユース(U-18)の練習場として利用されており、中国サッカーリーグや高校・クラブユース年代以下の公式戦会場としても使用されている。また安芸高田市「みつやの里スポーツクラブ」が施設を用いている。 施設クラブハウスはトレーニングジムや会議場のほか、サンフレッチェ広島のグッズ販売や、過去の歴史などを紹介したミュージアムもある。かつてクラブハウス内のトレーニングジムは一般開放されていたが2022年から一般利用禁止となった[1]。 遊具付きの憩いスペースもあり[2]、隣には安芸高田市温水プールや花や緑のあふれる自然公園が整備されている[3]。
一方で不便な面もある。
以上の理由から、サンフレッチェは広島広域公園陸上競技場やその補助競技場で練習をおこなうこともある。 沿革→詳細などは吉田町 (広島県)#サンフレッチェ広島との関係も参照
サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCは、練習場にはマツダの福利厚生施設を用いていた。この流れは1992年4月サンフレッチェ広島誕生以降も続き、トップチームは呉市郷原のマツダ健保グラウンド、サテライトチームは安芸郡坂のマツダ鯛尾グランド、機械的なトレーニングやマッサージ等の体の手入れは南区大州のマツダ体育館と、それぞれが離れた位置にあり不便な状況だった[5]。また1993年に発足したサンフレッチェ広島ユースにしても、広島市内での練習場の確保すらままならない状況だった。 これと平行して、サンフレッチェ広島誕生以降、チーム名を毛利元就の故事「三本の矢」にちなんで命名されたことから、元就ゆかりの地である高田郡吉田町(現安芸高田市)とサンフレッチェとの交流が始まった[3]。その交流のなかで1993年9月、吉田町がサッカー公園の整備を行い、サンフレッチェのトップチームの練習拠点とユースチーム育成の拠点を町内に置くことが決められた[3]。当時の吉田町は高齢化時代を迎えており、この事業は町の活性化「若者定住促進等緊急プロジェクト」として整備が進められた[3]。早速ユースが吉田運動公園を拠点に活動を開始、1994年ユース寮が完成した[3]。 1998年11月「吉田サッカー公園」開場、11月23日に完成式典が行われ、1999年2月からトップチームの練習を開始した[3][4]。吉田町の事業費24億9,600万円[3]。 2004年、市町村合併に伴い安芸高田市所有となる。2005年、隣に吉田温水プールが完成した。2007年指定管理者制度を導入、公益財団法人安芸高田市地域振興事業団が指定管理者となり、年約5,700万円で運営管理を担った[4]。サンフレッチェ広島が創立30周年を迎えるにあたり練習環境の充実や安芸高田市との関係をより強化にする目的で[4]、2022年4月サンフレッチェが指定管理者となり、施設名称は「安芸高田市サッカー公園」に変更となった[1]。 主な改修履歴は以下の通り。
交通
脚注
関連項目外部リンク |
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