宇都宮市立陽光小学校
宇都宮市立陽光小学校(うつのみやしりつ ようこうしょうがっこう)は、栃木県宇都宮市緑にある公立小学校。 沿革開校の背景緑1丁目 - 4丁目における宅地化の進行(栃木県住宅協会(現・栃木県住宅供給公社)が分譲した西川田団地など)で、1970年に開校した宇都宮市立緑が丘小学校も開校5年目には収容しきれなくなり、校庭にプレハブ校舎を建設してしのぐほどであった。開校9年目には児童数1,439名となった一方、地域の東部に位置する畑や山林は、民間業者による宅地造成が急速に進み、さらなる児童の増加が予想されたため、市は後に陽光小となる「仮称第53小学校」の建設計画を示した[2]。 市当局としては、市有林の一部を学校用地にし、残りを公園用地に変更するということで、当初は「西川田公園」の場所を候補地とした。敷地的には最適であったが、隣が宇都宮競馬場で校舎2階から競馬場が丸見えとなり、学校環境としても好ましくない。緑が丘小とも近すぎるとも意見が出たが、民有地との交換交渉をすすめ、現在地が選定された。敷地の一部は雑木林であったが、自衛隊の協力も受けて整地した[2]。 緑が丘小と宇都宮市立横川西小学校の通学範囲内である自治会に学校開設準備班が設けられ、学区割の検討が始まった。市からのは緑2丁目の南半分を陽光小学校区にという提案がでたが、自治会が二分されると猛反対を受け、緑が丘小学校区に残置された。緑4丁目及び現・緑5丁目の地区は緑が丘小学校設立10周年を迎え環境が整いつつあり、通学距離も大差ないことから転校にはかなりの抵抗があった(緑5丁目は小学校開校に合わせて西川田町より分離新設された)。江曽島4丁目・5丁目も同様の抵抗があったが、冬場の登下校環境から早い開校を望む声もあった。これらのことを踏まえて、自治会と市当局の話し合いにより、子どもと学校の将来を考慮し、現在の学区に落ち着いた。 校名は自治会の方にも募集が来て、応募者多数の中から「陽光」が選ばれた。陽南出張所管内ということで「陽」をとり、「光り輝く学校」から「光」をとったといわれている[2]。 学校環境整備のうち、植栽計画は開校の翌年となった。当初は地域から提供の申し出も多かったが市当局の計画によることにした。近くの宇都宮市立五代小学校も新設校であったが、植栽計画はすべて寄付でまかなったので、陽光小には2校分を植栽することになった。PTAから木陰になるような大きな樹木がほしいと意見が出たので、宇農高へ依頼したところ、欅の寄贈を受けた[2]。 年表
児童数の推移[1]
通学区域交通脚注参考文献
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