宇田要之助
宇田 要之助(うだ ようのすけ、1911年5月6日 - 2006年6月14日)は、日本の洋画家。広島県福山市出身。 来歴明治44年(1911年)5月6日、広島県沼隈郡水呑村(水呑町を経て現:福山市水呑町)に生まれる。 昭和初期、福山より同郷の彩美堂主人・土肥円修を尋ねて上京する。 本郷洋画研究所、太平洋美術学校、番衆義塾に学び、安井曾太郎に師事した。 新燈社展を始め、光風会展、白日会展、第一美術展、東光展、春陽展、二科展、第1回日展に入選する。 戦後は国展(国画会)及び埼玉県美術展に毎年出品し、それぞれ委員、審査員を務めた。 主に福島県の只見川に取材し、四季折々の自然に感じた生命感を、画面に形象化して制作した。 具象では中間色と伸びやかな筆使いによる詩情を得意とした。 1966年秋にフランスとイタリアに遊学する。パリやセーヌ川の風景を好んで描いた。 1970年、作品「春の詩」が週刊朝日ジャーナル9月6日号の表紙になる。 1972年と1973年、故郷福山の画廊にて個展を開催。 1983年、現代抽象展(三越銀座ギャラリー)に国画会メンバーの高松健太郎、福留章太らと出品する。 この頃から90年代まで、月刊「健康」(財団法人協栄生命健康事業団)の「絵のある随筆」の頁に、度々画文が掲載される。 また、伊勢丹浦和店7階アートホールでの埼玉代表作家展に毎年出品。 2001年6月23日〜7月8日、蕨市立歴史民俗資料館にて回顧展「季節の風景」開催。 2002年「埼玉ゆかりの芸術家」展 (6月15日〜9月1日サトエ記念21世紀美術館) 2006年6月14日没(満95歳)。 2007年、第81回国展(国立新美術館)に「浅春」が物故会員として展示される。 作品は広島県立美術館、ふくやま美術館、福山誠之館、蕨市、サトエ記念21世紀美術館に収蔵されている[要出典]。 顕彰
参考文献
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