宇治加賀掾宇治 加賀掾(うじ かがのじょう、1635年(寛永12年)- 1711年3月9日(正徳元年1月21日))は、江戸時代前期から中期に活躍した浄瑠璃太夫である。本姓は徳田氏で、通称は太郎左衛門。号は竹翁。初名は初代宇治嘉太夫(後に賀太夫、加太夫と改名)。 人物紀伊の宇治(現在の和歌山市)の生まれ[1]。幼年期に製紙業を営んだ[1]。1675年(延宝3年)、京都に出て、伊勢嶋宮内の名代で操芝居をはじめ、『虎遁世記』を語る[1]。同じ浄瑠璃太夫の山本土佐掾(山本角太夫)と並び称され、1677年(延宝5年)12月、加賀掾宇治好澄を受領[1]。加賀掾の浄瑠璃は、播磨掾の曲節に謡曲、平曲、幸若、流行唄などを加えた繊細優美なもので、近松門左衛門とともに浄瑠璃の品位向上にと当代化に貢献した[1]。八行稽古本の創始者である[1]。 主な作品
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