存覚(ぞんかく)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧である。父は覚如、母は僧教仏の娘播磨の局[2]、弟は従覚。常楽寺 (下京区)初代。錦織寺四代。
存覚は、初期浄土真宗における優れた教学者で、父覚如を助けて浄土真宗の教線拡大に尽力したが、本願寺留守職や東国における門徒への対応などをめぐり対立し、2度の義絶と和解が繰り返された。和解後も本願寺別当職を継承しなかった。
存覚は終生にわたり教化活動に力を注ぎ、佛光寺の了源への多数の聖教書写を初め、関東や陸奥国・近江国・備後国などで多くの布教活動を行った。
生涯
年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つ為、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。
神祇観
法然や親鸞においては基本的に神祇を拝することを積極的にはすすめていないのに対して、存覚には本地垂迹説に基づき、神を権社神と実社神に分け、後者が祟り神であるのに対して前者は仏の垂迹であるとする著作がある[7][8][9][10]。
著書
- 自著
- 『浄土真要鈔』
- 『六要鈔』…『教行信証』(親鸞 著)を最初に註釈した書。
- 『諸神本懐集』
- 『浄土見聞集』
- 『持名鈔』
- 『歩船鈔』
- 『真宗至道抄』
- 『報恩記』
- 『存覚袖日記』
- 『存覚法語』
- 聞書
- 『存覺上人一期記』…存覚の綱嚴(慈観)による筆録集。本願寺の歴史を知る上での重要な史料。
脚注