如水会一般社団法人如水会(じょすいかい)は、一橋大学の後援等を目的とする団体である。東京都千代田区一ツ橋に、地上14階、地下2階の高層ビル「如水会館」(1982年9月16日、如水会ビルディングとして竣工落成)を所有している。学士会館の斜向かいに位置する。 「如水会」の名は、『礼記』の「君子交淡如水」(君子の交わりは淡きこと水の如し:才徳のある者の交際は水のようにさっぱりしており、濃密ではないが長続きする)に由来する。会員同士の良き交流が継続することを期して付けられた。命名者は渋沢栄一。 概要東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部廃止の文部省令に対し同校の全校生徒・同窓会が抗議し、学生総退学決議がなされた申酉事件を受けて結束を固めるため同窓会館が設立されるに伴い、1914年に同窓会の名称を如水会とした[1]。1916年に文部大臣より設立許可を受け、社団法人となった。 これまで、図書館建設や、東亜経済研究所(現一橋大学経済研究所)支援のための東京商科大学奨学財団の設立、財団法人一橋大学後援会の設立、兼松講堂の改修、一橋大学基金の支援など、一橋大学支援活動を行ってきた[2]。 一橋大学学生・教員に対する海外留学援助制度は留学先の学費のみならず、往復旅費や月6~8万円の滞在費まで支給する。その他、学生のゼミナール活動に対する如水会館での飲食費補助、如水会館での新入生歓迎会の開催、各界で活躍する卒業生を招いた寄付講義の開講など、その援助の対象は多岐に亘る。会館の利用は一般開放されており、ウエディングから記者会見まで、多種多様な行事が行われる。 沿革1914年、既存の高等商業学校同窓会と如水会館設立組織であった「如水会」が合併し、同窓会如水会となる。 1940年、東亜経済研究所(現一橋大学経済研究所)支援のため、東京商科大学奨学財団を設立して大学経費9年分に及ぶ寄付金を集める。 1950年、一橋ファンドを設立し、1956年には、井藤半彌学長が村田省蔵理事長や菅礼之助相談役らに諮り、文部大臣の認可を得て財団法人一橋大学後援会となる。 1962年から海外留学奨学金制度を開始し、のちに明治産業の協力を得て、一橋大学海外留学奨学金制度となる。 1989年から卒業祝賀会を、1991年から新入生歓迎会をそれぞれ開始。 1992年国立市東に外国人研究者宿泊施設・如水ゲストハウスを建設し大学に寄付。 1994年、初代学長佐野善作による佐野書院を建て替え大学に寄付。 1999年、小平キャンパスに如水スポーツプラザを建設。2003年には一橋大学のシンボルである兼松講堂(国の登録有形文化財)が如水会の募金活動によって全面改修された。この時の募金額は10億円に上った。また、石弘光理事および清水啓典理事の提案で、100億円を目標とする一橋大学基金が設立され、江頭邦雄理事長が募金支援会会長に就任。 2004年2月より特に若手卒業生(平成元年以降)を対象に社団法人如水会平成卒業生の会という名称にて積極的に若手による活動を展開中[2]。 名誉社員歴代理事長
関連項目脚注
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