大阪府立豊中高等学校
大阪府立豊中高等学校(おおさかふりつ とよなかこうとうがっこう)とは、大阪府豊中市にある公立の高等学校である。 概要1921年に旧制中学校として創立した、旧制豊中中学校を経て、学制改革によって大阪府立豊中高等学校となった。全日制普通科高等学校だったが、2011年度に文理学科が併設され、2018年入学生より普通科を募集停止して文理学科に一本化されている[1]。 略称は「豊高」。2010年の入学者までは標準服はあるが私服での登校も可能であった。ピアス、髪の染色や脱色なども禁止はされていない。ただし、2011年の入学者からは進学指導特色校事業の施行に伴い、2011年度以降に入学の者は制服着用となる。 2011年度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校となり、普通科に加えて文理学科が設置された。大阪大学の講義を受講する高大連携授業も行っている。 また体育の時間には通常のラジオ体操ではなく、「豊高体操」なる独自の体操を伝統的に行っていた。しかし現在では通常のラジオ体操を行っている[要出典]。 正門すぐそばの北側に増築した教室(現在は同窓会「豊陵会」が使用)は、テニスコート部分に建設されたため、教室の上部はテニスコートになっている。 一時期45分授業を導入していたが、2011年度より50分授業へと変更された。さらに、2024年度より65分授業へと変更になり、より深く学んだり、じっくりと問題に取り組んだりして仲間と協力し学ぶ機会を増やすことを期待している[2]。 能勢分校→詳細は「大阪府立豊中高等学校能勢分校」を参照
2018年度より従来の大阪府立能勢高等学校を分校化する形で、大阪府立豊中高等学校能勢分校を能勢町に設置している。能勢分校とは遠隔授業などの取り組みも実施している。 沿革旧制中学校の入学志願者増に対応する形で、中学校の増設が必要と判断されて増設されることになった。 当初、大阪市内に建設の予定だったが候補地が二転三転した。そのためひとまず入学試験を府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)で実施し、授業も府立生野中学校(現・大阪府立生野高等学校)[注釈 1]の校舎を間借りしておこなった。 その後、阪急宝塚本線の沿線開発によって発展期を迎えていた豊能郡豊中村(当時)から誘致があり、校地がようやく決定した。創立の翌年には現在地に校舎が完成、移転となった。 太平洋戦争の際には、勤労動員先の工場が空爆被害に遭ったため生徒や教職員が犠牲になり、校舎も機銃掃射の被害を受けるなどした。終戦直後の1946年には進駐軍の米国人中尉が来校してアメリカンフットボールを指導したため、大阪府立池田高等学校とともに(日本における)高校アメフト発祥の地とされている。 学制改革の際、豊中市立の新制中学校に校舎を転用するため廃校という話も持ち上がったが、回避されている。 1948年の新制高等学校制度の発足により、大阪府立豊中高等学校となった。大阪府立桜塚高等学校(旧制大阪府立豊中高等女学校)と生徒を交流し、また旧制豊中市立高等女学校[注釈 2]から女子生徒を編入して男女共学を実施した。 大阪府教育委員会より2002年、「エル・ハイスクール」事業の実施校に指定され、進学指導に重点を置いた教育課程を組むことにした。また2010年度以降、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール事業の実施校に指定されている。 2011年度入学生より文理学科の募集を開始し、2018年度入学生より文理学科として一本化された。 年表
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