大阪市立豊崎東小学校
大阪市立豊崎東小学校(おおさかしりつ とよさきひがししょうがっこう)は、大阪府大阪市北区にある市立小学校。愛称は「とよひが」。 沿革学校所在地周辺は大正時代まで西成郡豊崎町に属していた。豊崎町では大阪市に隣接している地理条件や産業発展などに伴って人口が急増し、それに伴い地域の児童も急増した。従来の豊崎第二尋常小学校(現在の大阪市立豊仁小学校)の校区を分離する形で、1917年に旧西成郡豊崎町で4番目の小学校・西成郡豊崎第四尋常小学校として開校した[1]。 豊崎町は1925年、大阪市に編入された[2]。これに伴い大阪市豊崎第四尋常小学校に改称している[1]。 1934年の室戸台風では強風により木造校舎が倒壊し、児童多数が死傷する(翌日の新聞報道時点では死亡19人、負傷13人、行方不明3人)大きな被害を受けた[3][1]。 1941年には国民学校令により、大阪市豊崎東国民学校と改称した。太平洋戦争の影響で1944年以降学童疎開を実施することになり、京都府天田郡上夜久野村・中夜久野村(いずれも後年の夜久野町、現在は福知山市に編入)に集団疎開をおこなっている[1][4]。 戦災被害により、1946年には大阪市豊仁国民学校を合併した。1947年には学制改革により、大阪市立豊崎東小学校となった[1]。 戦災からの地域復興に伴い、1954年に大阪市立豊仁小学校が復興・再開している。 1970年4月8日に同校校区付近で天六ガス爆発事故が発生した。現場近くにいた児童らも事故に巻き込まれ、同校児童5人が死亡・10人が負傷する被害があった[1]。 年表
通学区域
出身者
交通
脚注関連項目外部リンク |