大道詰将棋大道詰将棋(だいどうつめしょうぎ・大道棋ともいう)は、道端や縁日などで出題されていた詰将棋である。簡単に詰むように見えて意外な受けがあってなかなか詰まないという特徴がある。 歴史道端での将棋の商売は、大正時代前期に野田圭甫と荻野龍石という2人の人物がそれぞれ別の場所で始めたとされている[1]。彼らは最初は道端で定跡の講義をしながら棋書を売っていた。詰将棋は最初客寄せに使われていた。2人より後に商売を開始した堀内宗善は、古典から改作した詰将棋を出題しながら詰将棋書を売っていた。大正時代後期には野田や荻野も詰将棋の出題が主体になっていた。 また、大道詰将棋は賭博の一種でもあり、1回いくらかの料金(1回100円でも、10回続けて失敗すれば1000円を支払うことになる)で客に詰将棋を解かせ、解ければ金品を賞品として与える形が主流となる。升田幸三は幼少の頃、家出をしたときに大道詰将棋を詰ませて生活費を稼いだことがあり、後に懇意になった詰将棋屋に詰将棋の解答を依頼され、作ったことがあると自伝「名人に香車を引いた男」で回想している。 関東大震災の前後から全国に普及し始め、第二次世界大戦を挟んだ後にも広く見かけられた。道路交通法の施行と共に取締が厳しくなり、最近ではほとんど姿を見ることはない。 テキ屋との関係大道詰将棋は、道端で商売を行うためテキ屋の一種とみなすことができる。テキ屋が商売の一環として大道詰将棋を扱うこともあったとされる。 テキ屋出身でない大道詰将棋屋でも、軋轢を避けるためにテキ屋団体の客分になることがあった[2]。 作者詰将棋屋が自作したものが多いが、まれに大橋宗桂など昔の将棋指しの作った問題を出すこともあった。また、プロ棋士の中には大道詰将棋問題を作るものもあったが、後にプロ棋士が大道詰将棋を作成することに関しては禁止された(升田幸三自伝「名人に香車を引いた男」に詳しい)。 通常の詰将棋との違い大道詰将棋のルールは、基本的には通常の詰将棋と変わらない。即ち、王手の連続で玉を詰めるのが目的となる。実際に出題されるときには詰将棋屋が玉方の手を指すので客は詰手順に専念すればよい。 このように書くと簡単に思えるが、実は大道詰め将棋は受け手に妙手が多くその手を指すためにも詰将棋屋が王側を指す必要がある。 受け手の妙手に気がつかない客が簡単に詰むと思い手をだして、大金を巻き上げられたということが多い。 創作(改作と呼ばれることのほうが多い)においては、通常の詰将棋とは違い余詰や駒余りが認められる。 また紛れを多くするために、詰みにまったく関係のない駒(飾り駒)を配置した作品も少なくない。 問題大道詰将棋の問題は、新聞や雑誌に掲載される詰将棋とは逆に攻方から見て盤の左側に配置されることが多い。 簡単に詰むように見せるため最初の駒数が少なく小さくまとまっている物が多い。また、同じようで少しだけ駒の配置が違うような問題もある。 大道詰将棋は主に持ち駒によっていくつかのパターンに分類される。以下に主な問題のパターンを挙げる。 以下の解説において「詰む」「逃れる」などと書かれている場合、特に指定がなければ一般的な問題における場合である。「詰む」と書かれた手順が全ての問題において詰むわけではない。逆に「逃れる」と書かれていても配置によっては詰む場合がある。 香歩問題持ち駒に香車と歩兵を持つ問題。香車を打った後の玉方の合駒に特徴がある。香歩問題は最も多くの問題が作られた形式であり、700題を超える問題が現存している。
図1-Aの詰め手順は以下のようになる。
初手が▲8三香では△9二玉で詰まないため、▲8九香[手順 1]と打つ。これに対して玉方は8二に合駒をしても詰まされるものの、8三に合駒をすれば▲同香不成では詰まなくなる(初手▲8三香の場合と同じ形になる)というのがポイントである。 受方は合駒として銀を使うのが妙手で、角行と銀将以外の合駒では5手目▲9二歩(図1-B)を△同玉と取るよりなく、▲8三香成から早く詰む。また合駒が角だとすると8手目△8一同銀(図1-C)が△8一同角となり、前に効かないため▲8二とで早く詰む。 香歩問題における合駒△持ち駒 残り駒全部
香歩問題の多くは右の図のように△7一玉・▲7三金・▲7五桂(▲9五桂の場合もある)の3枚が配置されている。 多くの問題は、この配置から以下の手順のいずれかで始まる。
△持ち駒 残り駒全部
左の図は、上の手順が成立しない例である。▲7二歩△8一玉▲8九香 に対して上の解説通り △8四桂 と合駒すると、▲同香 以下上に追って詰んでしまう[手順 5]。しかし、単に △8三金 と合駒すると▲7一歩成△同飛 で手が続かなくなる。 この問題は単に▲6一銀成 と飛車を取り、△同玉▲6二飛△5一玉▲6三桂不成△4一玉▲4三香△3一玉▲4二飛成△2一玉▲2二歩△1一玉▲3一龍 と右に追うのが正しい手順となる。 銀問題
持ち駒に銀将を持つ問題。玉位置によってさらに分類されるが、「△8一玉型」「△9三玉型」の2種類が多い。他に、「△9三玉▲7二飛▲7四飛型」「△8一玉▲6二飛▲5一角型」「△9四玉▲8六飛▲7五馬型」などがある。 △9四玉型以外のどの問題も2段目に飛車がある。多くの問題では、▲8二銀△9二玉▲7三銀不成△9三玉▲8二飛成(8二竜)という手順を見せているが、7三銀不成に対して飛車を取る手(左の問題では金、右の問題では馬)があり失敗する。特に9三玉型で4段目に飛車がない形では、▲8二銀で始まる問題は少ない[5]。 8一玉型8一玉型の問題には、攻方の▲5二飛(▲4二龍の場合もある)▲5三馬、玉方の△7四角(馬)△8三歩△9四金が配置されている。上述の通り、▲8二銀△9二玉▲7三銀不成 は△5二角 で逃げられる。 手順には以下のようなものがある。
9三玉型9三玉型のとき、▲7二飛は玉の下部を押さえている。上述の通り初手▲8二銀はほとんどない。 この型の場合、8五の駒を捨てて玉を上に誘う手が多い。例として以下のような手順がある。
9三玉飛車2枚型△持ち駒 残り駒全部
この形式は、後手玉が飛車に挟まれた格好になっている。8三の駒は角か銀である。 8三の駒が2つの飛車に当たっているため、▲8二銀△9二玉▲7三銀成 のような手順では△7二角 と取られる。斜め後ろに動ける駒なので、▲9四銀△同角▲7三龍 も△8三角▲8二飛成△9四玉▲8三龍△同桂 のような手順で逃げられる。8三の駒が角の場合▲8四銀 という手もある△9四玉▲8三銀 で角を取ることができるが△9五玉 と逃げられる。 詰将棋作家の加藤徹は、この形式による97手詰を1999年に発表している。この問題は▲8四銀△9四玉▲8三銀以下玉を1筋まで追う作品で、同年の看寿賞特別賞を受賞している[6]。 金問題△持ち駒 残り駒全部
持ち駒に金将がある問題。出典ははっきりしていないが、昭和6年の「将棋月報」に問題が紹介されている。 序盤に大駒の合駒2回を含むパターン化された手順があり、手数が多い問題が多い。8三の駒が歩以外の場合など、序盤の手順が使用できない問題もある。 金問題の序盤
図2-Aから▲9六金△8四玉▲8七香で合駒がきかないように見えるが、△8六飛(図2-B)という合駒がある。▲同香は△7五玉と逃げられるため、▲8五金△同飛[手順 7]▲同香△同玉▲8六飛△7五玉▲5六飛△8四玉▲8九香と進み、これに対し△8五角(図2-C)[手順 8]と合駒し▲同香△同玉と進む。ここまでの16手が金問題の一般的な序盤の攻防である。 図2-Aは、▲9六金△8四玉▲8七香△8六飛(図2-B)▲8五金△同飛▲同香△同玉▲8六飛△7五玉▲5六飛△8四玉▲8九香△8五角(図2-C)▲同香△同玉▲9六馬(図2-D)△7五玉▲5三角△6四飛[手順 9]▲8六馬△8四玉▲6二角成△同飛▲9六桂まで、25手詰めである。この手順だけ見ると6二の桂馬は単なる質駒に見えるが、この桂馬がないと17手目▲9六馬(図2-D)の代わりに▲8六馬とする別の詰み手順[手順 10]がある。 小型の金問題△持ち駒 残り駒全部
金問題の中には右の図のような形式もある。この問題も一般的な金問題と同様▲9三金△8一玉▲8四香△8三飛 という飛車の中合から始まる。 ▲同香 は△7二玉 で逃げられるため▲8二金△同飛▲同香成△同玉 と進む。▲7二飛 は△8一玉▲8四香△8三歩 という焦点の合駒で詰まないため▲8三飛 と打つ。ここまでがこの形式の金問題の一般的な序盤である。 9一 に香車が存在するため、△7二玉に対して▲5三飛成のような王手をすると△9四香と馬を取られることがあるので注意が必要である。 この形式の派生問題として、持駒を銀に変えた問題がある。この場合▲8三銀△8一玉▲7二銀不成△8二玉▲8三馬 という簡単な詰みがあるため9筋に玉を配置して双玉問題にすることがある。 別種の問題△持ち駒 残り駒全部
右の図は今までのものとは違う形の金問題である。狭いように見えるが、2枚の桂馬と銀が要所を守っているため詰めにくい。 銀を動かしての開き王手が目に付くが、▲7一銀成などは△6二銀と飛車を取られる。▲7一銀不成や▲8一銀成ならば両王手なので飛車を取られることはないが、△7三玉と出られると6四からの逃走経路が目に付くため追いづらい。 昭和12年の『将棋日本』誌に、宮松関三郎(当時七段)が50銭を取られた話が掲載されている[7]。このときに使用されていた問題がこの形式のものであった。宮松は、右の図の▲7一銀不成△7三玉▲6四金△同銀▲8二飛成△6三玉▲5二龍△7三玉に相当する手順(実際は左右逆で5三の駒が角であった。)で千日手となっている。 歩問題
持ち駒に歩兵がある問題。図3-A(作者不詳[8])を元にしている。△8三桂の代わりに△8二歩と▲7五桂が置かれるものもある(図3-B)。 飛車を進入させれば簡単に詰みそうに見えるが、合駒によって打ち歩詰めの局面になることがあるため手順前後などに気をつける必要がある。例えば図3-Aで初手▲6一飛成とすると、△7一歩と合駒される。▲同龍ならば△8一歩(図3-C)で打ち歩詰め、▲9二歩でも△8一玉▲7二桂成△9二玉 (図3-D)で手が続かなくなる。打ち歩詰めを避けるために初手を▲6一飛不成としても、△8一銀▲9二歩△8二玉▲6二飛成△7二歩で逃げられる。 図3-Bの手順は途中に▲8三桂不成△同歩の2手が入る以外図3-Aと同じである。ただし、初手でこの交換を行うと後の手順で桂馬を合駒されて詰まなくなる。 双玉問題△持ち駒 残り駒全部
→「双玉詰将棋」も参照
攻め方の玉も存在する問題。他の問題とは違い、逆王手から自分の玉が取られる危険性に注意する必要がある。元奨励会員の加藤玄夫が実戦で逆王手を食った経験を元に考案したといわれる[9]。 最初から双玉問題として作られた類型の他に、既存の問題群(香歩問題や金問題など)に玉将を加えた問題も多い[10]。 右の図は逆王手の解説のための例題である。 図から▲8二桂成は△9三飛と自分の玉が先に取られてしまう。また、▲8三飛成は△同金でこれも王手になる。▲6一飛成にも△7一角として逆王手になるが、▲8二銀と打って詰む。 ▲9四桂と△9五飛は詰め手順に全く関係ない駒であるが、大道詰将棋では紛れ順を増やすためによくこのような駒が配置される。 双玉問題の類型
双玉問題の代表的な類型として上の2種類がある。 左の問題は、飛角桂香が敵玉を取り囲んでいるが、受方の馬と香が間接的に自玉に利いている。このため、逆王手や素抜きを食うことがある。
右の問題は、加藤玄夫が最初に大道で使った類型とされている。
といった逆王手の手順がある。 問題の元になった図大道詰将棋の問題には古典の改作があった。『大道棋辞典』の著者である田代邦夫によれば、以下のような図が原図として考えられている[11]。
香歩問題の元となる最初の図は初代大橋宗桂の『象戯力草』90番と考えられている。 宥鏡という人物が書いたとされる『象戯勇士鑑』8番(図4-A)の途中図(図4-B)は、7五に攻め方の桂馬が置かれている。これにより現在の香歩問題に近づいたといえる。ただし、この書では以下▲7二歩△8一玉▲8五香△9二玉 という手順で詰みとされている。既に述べられている通り▲8五香 に△8四桂 以下で逃れている。 『待宵』(渡瀬荘治郎著)49番(図4-C)は、宥鏡の問題で逃れ手順となっていた桂金合いを作意にした問題である。 △持ち駒 残り駒全部
明治時代に発行された『将棋雑爼抄』(多賀高潔編)には、この桂金合いや角2枚合いを使用した逃れ図が掲載されている。大正7年に発行された『初心独習詰将棋講義』(土居市太郎編)には、角2枚合い型の問題が掲載されている。 『将棋雑爼抄』以前の角2枚合いの問題は知られていなかったが、『将棋十局留』(渡瀬荘次郎・小林東四郎共著)に問題が存在することが確認されている[12][13]。
8一玉型銀問題の原図としては、『将棋駒競』(初代伊藤宗看)86番と『象戯手段草』(伊野辺看斉著)83番があげられている。これらの図は攻め方の2段目の飛車と馬が玉を取り囲んでいる。後者の図では、玉方の7四馬が配置されている。 9三玉型銀問題の原図は『将棋必勝法』(渡瀬荘治郎著)2番である。この図から▲2五銀△同銀▲同銀△1三玉 の4手を経て例としてあげた図(左右逆)となる。 手順の補足大道詰将棋の変化手順は多岐に渡る。そのため本文には一般的な手順のみ紹介し主な変化手順はここにまとめる。問題によってはここにある手順が正解になる場合もある。
脚注
参考文献
外部リンク
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