大路井大路井(おちのい)は、滋賀県草津市の地区名である[1][2]。1889年(明治22年)の町村制施行による栗太郡草津町の成立までは大路井村(おちのいむら)、以降は大字大路井として存在し、市制施行後、1955年(昭和30年)以降は大路井町(おちのいちょう)、1964年(昭和39年)7月1日の住居表示実施により、町丁としては消滅した[2][3]。 現在では地区名として使用されているほか、滋賀県道143号下笠大路井線、同市西大路町の「大路井西栄町」バス停[4]にその名が残る。本項では、大路井の名が住居表示から消える1964年までを中心に扱う。 沿革
地理
概要大路井の語源は、『角川日本地名大辞典』では「小汐井」(おしおい)との説を紹介している[1]。大路井城跡(大路井殿町)である小汐井神社にその名が残る。同神社の名は1878年(明治11年)に改称したもので、古くは女体大権現と呼ばれていた[6]。小汐井の語源は「潮斎」(おしおい)であるという[6]。境内の小汐井池には「潮斎の井」という湧水がある[6]。同神社は、西暦863年(貞観5年)に創祀したとされる[6]。 守山宿から来た中仙道と、石部宿から来た東海道が交差し、大路井村を経て草津川を渡ると、両道が合流する宿場である草津宿である[2][7]。 近代以降、1886年(明治19年)に草津川を天井川としてくぐる草津川トンネルが開通し、川の向こうの草津村・矢倉村と交通が直結する[7]。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により大路井村全域は、草津村・矢倉村とともに草津村を形成し、同村は大字大路井となった[2]。草津村役場は草津の連合戸長役場を利用した[2]。同年7月1日には、大路井に隣接する治田村大字渋川(のちに1956年草津市に編入、現在の渋川一丁目)に草津駅が開業している。同年8月1日には南新助が同駅構内での飲食物販売を開始、これが1905年(明治38年)、日本初の団体旅行業の開始(日本旅行の創業)に発展する[7][8]。鉄道の発展とともに、草津駅前に位置した大字大路井には、栗太郡役所(1908年)、栗太銀行大路井支店(1916年)、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の礼拝堂をもつ信愛幼稚園(1922年)、行楽施設の草津温泉(1925年)、映画館の文榮座(1927年)が設置・開業している[2][7]。 第二次世界大戦後、1954年(昭和29年)10月15日の市制施行により草津市大字大路井、翌1955年(昭和30年)4月1日には同市大路井町と名称を変更している[3]。1956年(昭和31年)11月19日、東海道本線が全線電化が完成、大路井には新たに草津第二映画劇場が開館、これはのちに草津シネマハウス(5スクリーン)まで発展した映画館である。1964年(昭和39年)7月1日、住居表示実施により西大路町、大路一丁目、大路二丁目、大路三丁目、若竹町に分割され、「大路井」の名が住居表示からは消滅するが、この区域を示す名称に残っている。平和堂第2号店(現在のくさつ平和堂、1968年開業)[9]、草津市立草津第二小学校(1973年開校)[10]が登場するのは、この後の時代である。 小字1964年(昭和39年)の住居表示施行後も地番等にみられる。
交通施設
出身の人物ギャラリー脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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