大谷高寛

大谷 高寛(おおたに たかひろ、1849年12月3日嘉永2年10月19日[1] - 1923年大正12年)10月12日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

熊本県出身[2]漢学を学ぶ。里正、町山口村(のち本渡町本渡市天草市)戸長熊本県会議員、同常置委員、同参事会員、同副議長、同議長、関東州水産組合長、九州汽船(株)常務取締役、同社長となる[2]

1917年第13回衆議院議員総選挙において熊本県郡部から憲政会公認で立候補したが次点で落選した[3]。翌1918年繰上当選した。衆議院議員を1期務め、1920年第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1923年死去。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1919年、28頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』131頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』63頁。

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。