大田原扶清
大田原 扶清(おおたわら すけきよ)は、下野大田原藩の第7代藩主。 元禄2年(1689年)、第2代藩主・大田原政清の六男・大田原晴川の長男として生まれる。元禄15年(1702年)11月に第6代藩主・清信が死去したため、その養子となり、元禄16年(1703年)2月5日に家督を継いだ。12月21日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 宝永6年(1709年)5月、徳川家宣が第6代将軍に就任したとき、勅使の饗応役を務めた。正徳4年(1714年)9月から正徳5年(1715年)9月まで駿府城加番を務めている。延享2年(1745年)6月5日に江戸で死去した。享年57。 系譜父母 正室、継室 子女
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