大田原純清

 
大田原 純清
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝5年(1677年
死没 元禄12年5月23日1699年6月20日
別名 主膳(通称)
戒名 純清院殿絶点涼白大居士
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下、和泉
幕府 江戸幕府
下野国大田原藩
氏族 大田原氏
父母 父:大田原典清、母:大田原高清の娘
正室:朽木稙昌の娘
養子:大田原清信
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大田原 純清(おおたわら すみきよ)は、下野大田原藩の第5代藩主。

延宝5年(1677年)、第4代藩主・大田原典清の子として生まれる。元禄5年(1692年)12月18日に従五位下・和泉守に叙位・任官する。元禄7年(1694年)、父の死去により家督を継いだ。

元禄12年(1699年)5月23日に江戸で死去した。享年23。跡を養子清信が継いだ。

系譜

父母

正室

養子