大熊貞雄
大熊 貞雄(おおくま さだお、1891年〈明治24年〉7月12日[1] - 1946年〈昭和21年〉3月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1891年(明治24年)に山形県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1938年(昭和13年)3月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、歩兵第67連隊長(支那派遣軍・第15師団・第15歩兵団)に着任し[2]、日中戦争に出動[1]。南京警備のため、蕪湖・南京で治安維持に当たった[1]。1939年(昭和14年)12月に仙台陸軍幼年学校長に転じ[2]、1941年(昭和16年)8月に陸軍少将に進級した[2]。 1942年(昭和17年)4月に歩兵第53旅団長(第12軍・第59師団)に着任し[1]、済南に駐屯した[1]。1943年(昭和18年)3月1日に東部軍司令部附となり[1]、4月25日に予備役に編入された[1]。1944年(昭和19年)7月8日に召集され福岡連隊区司令官に着任[1]、1945年(昭和20年)3月31日に弘前師管区兵務部長に転じた[3]。 栄典
脚注参考文献
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