大国村(おおくにそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。
地理
法勝寺川の中流、同支流の北方川・絹屋川の流域に位置していた[2]。
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡原村、倭村、北方村、猪小路村、与一谷村、西村、絹屋村、鍋倉村が合併して村制施行し、大国村が発足[1][2]。旧村名を継承した原、倭、北方、猪小路、与一谷、西、絹屋、鍋倉の8大字を編成[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1951年(昭和26年)大字倭に大国村など5か村事務組合の西伯病院開設[3]。
- 1955年(昭和30年)3月30日、西伯郡天津村、法勝寺村、上長田村、東長田村と合併し、町制施行し西伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、西伯町大字原・倭・北方・猪小路・与一谷・西・絹屋・鍋倉となる[2]。
産業
教育
- 1890年(明治23年)潤徳簡易小学校開校[6]。1892年(明治25年)潤徳簡易小学校を原簡易小学校に統合し、大国尋常小学校となる[2]。1941年(昭和16年)大国国民学校に改称[2]。1945年(昭和20年)米子市、弓ヶ浜半島からの疎開児童を受入れ在籍生徒353名となる[7]。1947年(昭和22年)大国小学校に改称[2]。
脚注
- ^ a b c 『市町村名変遷辞典』121頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』166-167頁。
- ^ a b 「倭〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』799頁。
- ^ 「北方〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』279頁。
- ^ 「鍋倉〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』569頁。
- ^ 「西〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』577頁。
- ^ 「原〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』624-625頁。
参考文献
関連項目