大分ホーバーフェリー
大分ホーバーフェリー株式会社(おおいたホーバーフェリー)は、かつて大分県大分市および別府市と国東市にある大分空港との間でホーバークラフト(同社では船体を建造していた三井造船と同じく「ホーバークラフト」と呼称)による定期航路を運航していた海運会社。 概要1971年に、大分空港が大分市内から東国東郡武蔵町・安岐町(現国東市)へ移転した際に、大分市・別府市内からのアクセスをより便利にするために開設された。大分交通の関連会社である。大分空港は国東半島の東端にあるため、大分市からは、陸路では別府湾に沿って大きく迂回する必要があるのに対し、別府湾を横断するホーバークラフトは、所要時間を大幅に短縮することができた。大分基地 - 大分空港間の乗船時間は、通常約25分(時刻表上の所要時間は30分)。 1988年に、JR宇高航路のホーバークラフトが瀬戸大橋開通によって廃止されたため、それ以降は大分ホーバーフェリーが日本で唯一のホーバークラフトによる旅客定期航路となった。珍しさもあって空港利用に関係なく乗船する利用客もいたため、体験乗船、空港見送り・出迎え客向けに格安の往復割引きっぷが発売されていた(片道運賃よりも安かった)。 しかしその後、大分空港道路の開通及び延伸、大分自動車道の開通、別大国道の6車線への拡幅、日出バイパスの開通等により、県内各地から空港への陸上交通による移動時間が短縮し、自家用車や連絡バス利用の利便性、優位性が高まった。 この結果、大分ホーバーフェリーは1990年の約43万9000人をピークに利用客数が低下。加えて、不景気で航空機利用が敬遠され始めたことから、空港利用者自体も減っていき、そのあおりで2008年度は、ホーバークラフトの利用客数が約24万9000人にまで落ち込んだ。会社としても売上高6億2000万円まで低下。当期純損失9300万円、繰越損失約3億0900万円で、5000万円の債務超過に陥る。2009年度も運航を継続した場合、1億円超の赤字(純損失)と2-5億円の債務超過が予想された。加えて旅客用ホーバークラフトが当時世界的に衰退傾向にあったことから、船体の建造元である三井造船は2016年限りで交換部品の製造・供給を打ち切ることを大分ホーバーフェリーに通達した。 これらを受け、大分ホーバーフェリー株式会社は、2009年9月30日に、大分地裁へ民事再生手続開始を申し立て、同日保全命令が下りた。負債総額は2009年8月31日時点で5億7300万円。 38年間にわたるホーバークラフトの運航は、2009年10月31日をもって終了(形式上「休止」だが実質的に廃止)され、その後、4隻あった船体は売却。所有する事務所、乗り場、保守基地の建屋も解体撤去された。その後、2010年10月28日に会社の再生計画認可が決定したが、最終的には2011年に法人解散となった。 2020年3月4日、大分県知事の広瀬勝貞が記者会見の席上で、大分空港海上アクセスとしてホーバークラフト航路を復活させ、2023年にも運航を始めたい意向を表明した。かつての大分ホーバーフェリーのように、運航会社が船舶を保有して運航する形態ではなく、県が船舶購入費や港の関連整備を負担し、公募した民間事業者に船舶を貸し付けて運航を委託する方法(鉄道等でいう「上下分離方式」)で航路再開を目指す[1]。最終的に第一交通産業グループの大分第一ホーバードライブが運航事業者となり、2023年度を目処に運航を開始する方針である。 →詳細は「大分空港海上アクセス」を参照
旧発着場
運航終了時の航路大分基地 - 大分空港間は、定期航路であるが、大分空港発着の航空機の運航に連動しているため、航空機の発着(特に到着)が遅れる場合はそれに合わせて運航されていた。片道25分での運航を行っていたが、部品の消耗が激しく、コスト的な面を考慮して一旦は30分運航にしていた。しかし陸路との競争が激しく、連絡バスとの接続を含めて再検討し、29分運航になった。 ホーバーの航行特性上、波高が高い日や別府湾に濃霧がかかった日は運休となったが、運航案内専用のフリーダイヤルがあったので微妙な天候の時は事前に確認できた。また、大分からの始発便と2便が欠航になった場合は、タクシーによる空港までの代替運送が行われた。 貸切利用もできた。大分空港の空の日イベントの際は、空港周辺の遊覧航海が行われた他、水のイベントで大分市を流れる大野川を航行したり、海のイベントでは別府国際観光港から別府湾遊覧が行われた。 かつては、別府-大分間にも定期便があったが、道路整備に伴って定期バス便の所要時間が短縮し、競争力が低下したことなどによって、1996年8月で廃止された(不定期・貸切航路としては継続されていた)。 旧使用艇運航終了時の使用艇
ドリームサファイアは2002 FIFAワールドカップ大分開催に際して導入された最新鋭船でバリアフリー対応としたことと、推進エンジンを水冷式(メルセデスベンツ製)にしたことでエンジン室が大きくなったため、乗船定員が他の3艇の105名より少ない100名となっていた。 乗船定員はパンフレット等に記載されていたが、補助席を含めての数であって、固定席は80席程度だった。 片道25分程度と短いことから、各艇内にトイレは設置されていなかった。 2009年10月の運航終了後、4隻は旧大分基地内に留め置かれていたが、売却先が決まったことにより、2010年3月5日に、4隻とも大分基地から大在公共ふ頭まで自力航行した後、クレーンで台船に載せられ予備部品等と共に大分の地を去った[2]。 購入先の意向により、売却先や金額、用途は公にされなかったが[2]、熊本県八代市の港湾荷役業者によると、同月に八代港を経由して中国に運搬したといい[3]、香港の港に係留されたとみられる写真が中国語のウェブサイトで発見されている[4]。 2012年11月、4隻のうち、ドリームアクアマリン、ドリームルビー、ドリームエメラルドの3隻が再び八代港に運搬された。いずれの船体も汚れがひどく、ドリームアクアマリンはキャビン部が焼損していた[4]。3隻は野積み場に保管されていたが[3]、2015年4月初旬までに解体された[2]。
過去の使用艇
ほびー2号、エンゼル2号以外は船体延長改造を受け、50人乗りから75人乗りになった。 MV-PP5は2003年までに全てリタイアし、既に全艇解体されて現存しない。なお、大分のりばの待合室にはMV-PP5とMV-PP15の模型が、空港のりばの待合室にはMV-PP5の模型がそれぞれ展示されていた。1970年代から1990年代まで「ほびー1号」の特注トミカが記念品として発売されていた。 大分ホーバーフェリーが登場した作品ホーバークラフト自体の珍しさもあって、ドラマ・映画に登場している。
脚注
外部リンク
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