境田昭造境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日[1] - 1991年9月9日[2])は、日本の漫画家である。日本漫画家協会会員。 略歴東京都文京区本郷生まれ[3]。駒込学園高等学校をへて[3]、1950年、拓殖大学政経科卒業[2]。 在学中から近藤日出造に師事して大人漫画家となり、1950年に漫画集団の同人となる[4]。昭和30年代から40年代にかけて、独特のデフォルメのキャラクターを描いて一世を風靡[2]。 「若手落語会」「東横落語会」などを主宰した湯浅喜久治と知人だったことから、若手落語家たちと友達同様に交流することになる。談志・円楽・志ん朝らとは若手時代からつきあいで、1969年からの柳朝・志ん朝の「二朝会」はプロデューサー的に関わった[5][6]。 だが、ピストルの不法所持事件を起こし[7]、また1964年に「新人女優との情事事件」がマスコミに取り上げられ、不眠症で飲んでいた精神安定剤の影響のため1966年に精神科に入院した[8]。 8ヶ月の入院生活の後、退院しふたたび漫画家として活躍[9]。しかし、1974年12月から奇病が発症(のち溶血性貧血と判明[10])、以降の7年間全く空白の時を過ごした[2]。1982年5月漫画集「魔女の花束」を私家版で出版して復活[2]。 著書
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