堅下

堅下
かたしも
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
自治体 柏原市
旧自治体 堅下村
世帯数
10,476世帯
総人口
25,355
国勢調査、2011年12月31日現在)
柏原市役所堅下合同会館
北緯34度35分19.69秒 東経135度37分43.42秒 / 北緯34.5888028度 東経135.6287278度 / 34.5888028; 135.6287278座標: 北緯34度35分19.69秒 東経135度37分43.42秒 / 北緯34.5888028度 東経135.6287278度 / 34.5888028; 135.6287278
所在地 〒582-0018
大阪府柏原市大県3丁目9番19号
堅下の位置(大阪府内)
堅下
堅下
特記事項:堅下合同会館に出張所は設置されていない。
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堅下(かたしも)は、大阪府柏原市内の一地域。

柏原市の北中部に位置し、柏原市の前身である南河内郡柏原町と合併する前の中河内郡堅下村であった地域である。

新住所表記では、法善寺山ノ井町平野大県太平寺安堂町大字安堂高井田の各地域に該当する。

歴史・概要

かたしもむら
堅下村
廃止日 1939年6月1日
廃止理由 新設合併
柏原町堅上村堅下村柏原町
現在の自治体 柏原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
中河内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,917
国勢調査1935年
隣接自治体 中河内郡堅上村、南高安村
南河内郡柏原町志紀村
堅下村役場
所在地 大阪府中河内郡堅下村大字大県
座標 北緯34度35分20.1秒 東経135度37分51.8秒 / 北緯34.588917度 東経135.631056度 / 34.588917; 135.631056 (堅下村)
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近代以前

日本 > 畿内 > 河内国 > 大県郡 > 法善寺村平野村大県村太平寺村安堂村高井田村

古代、人々がこの地にある高尾山の山中に住居を構え、狩猟・漁癆の場にして生活していた。高尾山頂付近には高地性集落の跡が発見されており、「高尾山遺跡」という。また多鈕細文鏡など当時の朝鮮半島で作られたものが発掘されており、交流や交易を行っていたと考えられている。

古墳時代には多数の横穴墓が作られ、高井田地区に約200基ほどあり、現在は「高井田横穴群」とよばれる。

律令制制定以降は河内国大県郡に属する。『続日本紀』によると、堅上郡と堅下郡を合わせて大県郡が成立したとされる。このころには各方面を結ぶ道路が整備され、この地には後に「東高野街道」、「奈良街道」とよばれる道筋が出来、交通の要衝となっている。また、南には大和川が流れ、水運や渡船も用いられた。

近代以降

日本 > 大阪府 > 中河内郡 > 堅下村

江戸時代より平野村や大県村では家の庭先に日陰樹としてぶどうの木が植えられていたが、本格的なぶどう栽培が始まるのは甲州種が導入された1884年(明治17年)以降である。

鉄道の敷設や綿作の衰退と時期が重なったこともあり、明治20年代には堅下村全域にぶどう栽培が普及した。大正期には他府県への出荷も開始され、「堅下ぶどう」の名で知られるようになり、ワインの醸造も開始されている。ぶどう栽培は隣接する堅上国分地区にもあたり一面がぶどう畑になるほどに普及し、1928年(昭和3年)から1935年(昭和10年)にかけて、大阪府が全国1位のぶどう産地となっていた。

その後、伊勢湾台風第2室戸台風による被害などを機に規模は縮小していったが、堅下地区は現在も大阪府におけるぶどう産地の中心である。

なお、ぶどう畑開墾の過程で前述の高尾山遺跡が発見されている。

1935年(昭和10年)9月2日、平野集落にあったため池「菱尾池」が前日来の豪雨により決壊。死者9人、重傷5人、軽傷10余人。家屋の全壊6戸、倒壊16戸の被害を出した[1]

  • 1889年4月1日の町村制施行に伴い、大県郡法善寺村、平野村、大県村、太平寺村、安堂村、高井田村が合併して堅下村が成立。大字大県に村役場を設置。
  • 1896年4月1日の郡の統廃合により、中河内郡に所属。
  • 1939年7月1日に隣の堅上村とともに南河内郡柏原町と合併し、中河内郡柏原町の一地域となる。

地理

柏原市の北中部に位置する。地域内は東部に高尾山がそびえる。平坦部は東高野街道以西、大和川右岸付近の限られた地域に限定される。

限られた平坦部に鉄道、道路が集中し、交通の要所となっている。

柏原市の二大市街地である柏原地区と国分地区の間に位置しており、安堂地区に市役所や市民会館が立地している。

河川

  • 大和川
    • 市役所付近は洪水による災害が懸念されることから、周辺一帯はスーパー堤防が整備された。
  • 恩智川
    • かつては大和川とつながっていたとされるが、現在は高尾山あたりの山中が水源となっている。

交通

前述のとおり古来からの交通の要所であったが、公共バスは現在地域内では運行されておらず、無料循環バス(きらめき号)が平日に運行されている。

主な道路
鉄道

地域

法善寺

堅下地域の北西部に位置し、概ね平坦である。市町村制施行以前の法善寺村にあたる。

主な施設、旧跡

(法善寺1 - 4丁目)

山ノ井町、平野

法善寺地区の東に位置し、集落は東高野街道の東・高尾山麓の緩やかな斜面に散在する。市町村制施行以前の平野村にあたる。

主な施設、旧跡

(山ノ井町)

(平野1,2丁目、大字平野)

大県、太平寺

堅下地区の中心部に位置し、もっとも賑わっている地区である。市町村制施行以前の大県村、太平寺村にあたる。

主な施設、旧跡

(大県1 - 4丁目、大字大県)

(太平寺、大字太平寺)

  • 石神社
  • カタシモワイナリー
    明治末期に壽屋から技術支援を受けてワイン製造を開始し、大正時代初めに柏原で初めてワインの醸造に成功した。柏原を代表するワイナリー。

安堂町、大字安堂、高井田

柏原市の中央部に位置し、市役所のある地区である。二つの街道(国道)が交わる交通の要所でもある。市町村制施行以前の安堂村、高井田村にあたる。

主な施設、旧跡

(安堂町、大字安堂)

(高井田)

脚注

  1. ^ 用水池が決壊、九人死ぬ『大阪毎日新聞』(昭和10年9月4日夕刊).『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p57 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

関連項目