国分 (柏原市)

国分
こくぶ
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
自治体 柏原市
旧自治体 国分町
世帯数
13,026世帯
総人口
31,319
国勢調査、2011年12月31日現在)
柏原市役所国分出張所
北緯34度33分54.86秒 東経135度38分11.1秒 / 北緯34.5652389度 東経135.636417度 / 34.5652389; 135.636417座標: 北緯34度33分54.86秒 東経135度38分11.1秒 / 北緯34.5652389度 東経135.636417度 / 34.5652389; 135.636417
所在地 〒582-0021
大阪府柏原市国分本町2丁目7番2号
国分の位置(大阪府内)
国分
国分
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国分(こくぶ)は、大阪府柏原市内の一地域。

柏原市の南東部に位置し、柏原市の前身である中河内郡柏原町と合併する前の南河内郡国分町の東側の地域である。

現在の住所表記では、国分本町国分西国分市場国分東条町(こくぶひがんじょうちょう)、田辺旭ケ丘の一部の各地域に該当する。

歴史・概要

こくぶちょう
国分町
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
国分町、中河内郡柏原町 → 中河内郡柏原町
現在の自治体 柏原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
南河内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 8.52 km2.
総人口 8,957
国勢調査1955年
隣接自治体 大阪府
中河内郡柏原町
南河内郡道明寺町古市町駒ヶ谷村
奈良県
北葛城郡香芝町王寺町
国分町役場
所在地 大阪府南河内郡国分町大字国分
座標 北緯34度33分54.6秒 東経135度38分11.3秒 / 北緯34.565167度 東経135.636472度 / 34.565167; 135.636472 (国分町)
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近代以前

日本 > 畿内 > 河内国 > 安宿部郡 > 国分村

このあたりは古来より難波・河内国府と平城京・飛鳥とを結ぶ官道・古代道路の中継地点として栄えた。そのひとつである「長尾街道」の経由地であり、「竜田越え道」とも交わっている。河内国府からも近く、飛鳥時代後期(7世紀後半)には東条に大きな仏教寺院が建てられ、それが後に河内国分寺として改修されたといわれている。 しかし平安京遷都以降は京と国府を結ぶ道路の経路から外れたことにより寂れ、国分寺もいつしか廃寺となった。しかし国分寺があったことは、現在まで「国分」の地名として残った。国分東条町には河内国分寺塔跡があり、付近には21世紀に再興された河内国分寺がある。

近世以降、大坂との間に「国分舟」と呼ばれる船運が開始されると、現在の国豊橋あたりに船着場が設けられた。その西に町が開かれ、「新町」とよばれた。

近代以前には「国分」「六軒」「田辺」「東条」の四つの集落が存在した。

近代以降

日本 > 大阪府 > 南河内郡 > 国分村国分町

  • 1870年 大和川対岸の高井田村との間に「国豊橋」が架設された。

地理

柏原市の南東部、おおむね大和川の南、原川の東に位置する。地域の北西端付近に平地があり、古来から交通の要所となって町として発展してきた。現在は北の柏原とともに柏原市の中心地のひとつとなっている。

交通

高速道路
主な道路
3者は国分駅前で合流・分岐する。
鉄道

※2008年現在、公共交通機関としてのバスは廃れてしまった。

地域

国分本町、国分西、国分市場

かつての「国分」「六軒」地域一帯であり、現在の国分地区の中心地。

主な施設、旧跡

  • (国分西1,2丁目)

国分東条町

かつて「東条」と呼ばれた一帯。

主な施設、旧跡

延喜式神名帳に記載されている、二座ある杜本神社のうちの一座。国分寺跡の近くにある。

田辺、旭ケ丘

かつて「田辺」と呼ばれた一帯である。国道165号・近鉄線沿線、原川沿岸付近を除いて丘陵地帯となっている。

田辺地区と旭ケ丘3丁目とは近鉄線で分断され、かつ地形上、自動車の通る踏切・立体交差が設置困難なため、両地区との行き来は不便である。

主な施設、旧跡

春日神社拝殿
右に見えるのが田辺廃寺跡出土品の収蔵庫
  • (田辺1,2丁目)
    • 春日神社
      • 田辺廃寺跡 - 奈良時代(8世紀)の寺院跡。国の史跡に指定。春日神社の境内一帯からかつて存在した薬師寺式伽藍配置の寺院遺構が出土しており、神社本殿・拝殿の南側の収蔵庫に出土品が保管されている。
    • 西名阪自動車道 柏原IC
大阪方面への片方向の出入口。柏原市内へのアクセスにはあまり便利ではなく、隣の藤井寺ICのほうが便利である。

脚注

  1. ^ 家屋倒壊が続出、恐怖に包まれた大阪『大阪毎日新聞』昭和11年2月22日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p204-205 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994)年

関連項目