埼玉県立鳩ヶ谷高等学校
埼玉県立鳩ヶ谷高等学校(さいたまけんりつはとがやこうとうがっこう)は、埼玉県川口市大字里にある県立高等学校。略称は「鳩高(ハトコウ)」。NHK鳩ヶ谷ラジオ放送所跡地に立地している。 設置学科概要かつて高校の敷地にはNHK鳩ヶ谷放送所が置かれ、ラジオ第二放送を送信していた。施設の老朽化に伴って放送所は廃止され、日本放送協会(NHK)がその跡地を売却した。折しも、埼玉県内全ての市町村に県立高等学校を設置することが決定されたことで旧鳩ヶ谷市の高等学校誘致活動が実り、同跡地に高等学校を設置することになった。 統廃合を伴わない新設高校としては、県内の公立高校で最後の開校となっている。 男女共学で、学科は普通高校という基本を持ち、地域性(川口市の鳩ヶ谷地区や安行地区は園芸が盛んである)にあわせて園芸デザイン科を設定し、また新時代に合わせる形で情報処理科を設置した。「園芸デザイン科」という学科は全国で初めて本校に設置された。[1]また開校当初は普通科に外国語コースも設けられていた。なお当校の開校は、旧鳩ヶ谷市制20年と一致した。 学校敷地の形状は元が放送所であったこともあり、かつてはフラスコのような形状(北側[農場側]が円形、南側[グラウンド側]が長方形)をしていたが、学校周辺地区で行われている土地区画整理事業によって南側(グラウンド側)はほぼ四角い形状となった。[2] 沿革
施設校内に「プラザ」と呼ばれる白い柱が何本も立っている広場があったが、2023年4月開校の埼玉県立川口特別支援学校鳩ケ谷分校の校舎建設のため、取り壊しとなった。 制服制服は男子は学ランで、女子はブレザーでネクタイ着用となっている。 学校行事遠足、体育祭、球技大会、ロードレース大会、修学旅行などがある。 部活動校内にプール施設がないため、水泳部はなく、野球部も存在しない。ソフトテニス部は女子のみ。
進路例年は専門学校進学が最も多く、4割以上が専門学校へ進学する。大学進学が約2割、就職が約2割となっている。 交通路線バス 国際興業バス
近隣当校の近くには埼玉県立川口高等学校がある。鳩ヶ谷送信所の跡地の一部は、東京都の放射道路である尾久橋通りから接続されている埼玉県道58号台東川口線の用地となり、現在は埼玉県道5号さいたま菖蒲線と接続され、第二産業道路と呼ばれている。本校の西側を笹根川が暗渠にて流下し、その西方を芝川が流下している。また当校開設以前から、近隣の川口市安行領根岸地区のイオンモール川口、川口自動車学校などに株式会社埼玉紡績(後の株式会社サイボー)の跡地が活用された施設がある。 NHK鳩ヶ谷放送所NHK鳩ヶ谷放送所(エヌエイチケイはとがやほうそうじょ)は、かつて埼玉県鳩ヶ谷市大字里字曲田335に所在した日本放送協会(NHK)の送信所である。 鳩ヶ谷第二放送所(第一放送所は川口第一放送所であり、今日のSKIPシティである。)は1936年(昭和11年)4月に着工され、1937年(昭和12年)12月に放送出力150kWで試験放送が行われた。1939年(昭和14年)5月より本放送を開始した。放送所として鳩ヶ谷が選ばれた理由として、地価が安く、湿地帯のまとまった土地が確保でき、また湧水が豊富だったことが挙げられる。湧水は放送機器の冷却のため、湿地帯という地質は放送機のアースのためという条件に合っていた。施設としては敷地面積63,117㎡、局舎は鉄筋鉄骨コンクリート造り2階建て、付属舎、舎宅延べ3,303㎡であった。送信用鉄塔は206.54mで、日本無線電信株式会社原ノ町送信所で不要になったものが移転改装され利用された。鳩ヶ谷放送所では終戦まもなくの1945年(昭和20年)8月24日に川口放送所占拠事件が発生した。それから時代は下り、1983年(昭和58年)3月24日に鳩ヶ谷放送所の機能は菖蒲久喜ラジオ放送所へと引き継がれ、その役目を終えた。菖蒲久喜ラジオ放送所ではラジオ第2放送の設備が出力500kWで運用が開始された。その後、鳩ヶ谷放送所の跡地は埼玉県立鳩ヶ谷高等学校へと引き継がれ、今日に至っている。[3] 著名な出身者関連項目脚注・参考資料脚注
参考資料
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