坂東彦三郎 (4代目)
四代目 坂東 彦三郎(よだいめ ばんどう ひこさぶろう、1800年(寛政12年) - 1873年(明治6年)11月14日)は幕末から明治初期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。俳名に薪水・楽善。通称:亀旦那/彦旦那(彦だん)[1]。享年74。戒名:長承(彰)院斎誉彦光居士[1]。
文政の末年には名古屋、大坂を中心に備中、尾道などの芝居小屋を勤め、天保6年(1835年)に江戸に戻る。安政3年(1856年)3月に養子の初代坂東竹三郎に「彦三郎」を譲り、自らは初代坂東亀蔵を名乗る。その後再び上方へ上り上方の各地を巡った。 明治4年(1871)に一世一代として『有職鎌倉山』の佐野兵衛などを演じ引退[2]、明治6年(1873年)死去。 若き日は『菅原伝授手習鑑』の桜丸や『一谷嫩軍記』の源義経などの二枚目を得意としたが[2]、その後実事、所作、武道をよくし老役から敵役までこなした。 養子が五代目坂東彦三郎。 関連項目
脚注出典 |