国富友次郎国富 友次郎(くにとみ ともじろう、明治3年2月3日[1](1870年3月4日) - 昭和28年(1953年)12月1日[1])は、日本の教育者。岡山市長。 経歴備中国浅口郡鴨方(現在の岡山県浅口市)の高戸家に生まれ、岡山市の国富大三郎の養子となった[2][3]。岡山県師範学校卒業後、岡山県下の小学校で校長を務めた[2]。1904年(明治37年)に岡山実科女学校校長に就任し、1908年(明治41年)には岡山実科高等女学校(のち就実高等女学校に改称)を設立し、両校の校長を兼ねた[4]。岡山県教育副会長、岡山市教育会長、帝国教育会理事を歴任[3]。また県会議員、市会議員、同参事会員、同議長に選出された[3][4]。 1941年(昭和16年)、岡山市長に就任し、1944年(昭和19年)まで務めた。 出典参考文献
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