四年三組のはた
『四年三組のはた』(よねんさんくみのはた)は、宮川ひろによる児童文学作品。1975年に日本の偕成社から刊行された。小学4年生のクラスを舞台に、出産を控えた女性教員とクラスの児童、そして産休補助教員(作中では「るすばん先生」と表記)の交流を描いた作品である。 宮川には産休補助教員の経験があり、この題材を扱った作品としては『るすばん先生』(1969年)に次ぐものである[1]。 1976年に、日活により日活児童映画の1本として映画化されている。また1982年にはテレビドラマ化されている。 物語舞台はある小学校の4年3組。新学期に担任となった木村先生は、自分が妊娠中で10月17日に出産予定と告げる。出産時のことを親に聞いてくるという木村先生の課題に、母親が再婚の本間ゆう子は八木敏夫らの男子児童からそれを冷やかす言葉をかけられた。一方一部の保護者は出産予定の教員が担任であることへの不安を女性の校長にぶつけたが、出産が「目習い」の教育の機会になると諭される。 ゆう子は銭湯で出会った同級生の中川京子の自宅に行き、双眼鏡の部品工場を兼ねる家で、京子が妹や同居するいとこの世話や家事の手伝いをしているのを知る。京子からは木村先生の安産祈願に犬の折り紙を1000個作るという相談を受け、二人で折ることにした。家業に由来するにおいを学校でからかわれた京子に、ゆう子はその問題を訴えてクラス会が開かれ、先生は「手伝いのにおいだから恥ずかしがることはない」と諭す。生母の写真を探していたゆう子は、今の母が当時の自分を気に入って再婚したというメモのある写真(「お見合い写真」)を偶然見つけた。犬の折り紙はクラス全員の協力で1000個に達し、京子も体育授業のポートボールをきっかけに大きな声で話すようになる。 木村先生が腹痛から一週間の安静になったとき、4年3組では東京の交通図を作る授業をきっかけに、児童だけで水天宮に安産祈願に出かけた。校長先生は親をなだめる一方、児童には親によく謝るように話して叱らなかった。 二学期になり、出産休暇に入った木村先生に代わり、「るすばん先生」として年配の横山先生が担任となる。9月6日のゆう子の誕生日に、ゆう子の父は「今の母親を大事にしてほしい」という思いから見せなかった生母の写真を見せる。数日後、昼休みに木村先生が教室を訪れる。児童たちは喜んだが、ゆう子は横山先生が寂しそうに見えたことが気になった。敬老の日の連休が明けたあと、横山先生は自分の出産時に来た「るすばん先生」の気持ちを思いやったこと、連休中のクラス会で当時の教え子たちと再会したことを教室で話した。 10月10日の運動会では4年3組の発案で、ボール紙で作った聖火リレーと聖火台が実施された。また各クラスで旗を作ることも決まり、4年3組では二人の先生と木村先生の赤ちゃんを描いた京子の案が採用された。運動会当日、すべてのプログラムが終わったあと、木村先生に女児が誕生したことが伝えられた。 舞台設定児童たちが水天宮に行く際は、成増駅から東武東上線に乗ったとあり[2]、木村先生の自宅は志木駅が最寄りと記されている[3]。 「9月6日が土曜日」[4]「敬老の日と日曜が連休」[5]という記述があり、これらは本作の初版が刊行された1975年のカレンダーと一致する。また、偕成社文庫版(1979年初版)では水天宮に行く際の交通費(小児運賃)が「(成増から)秋葉原まで70円、そこから地下鉄日比谷線で人形町まで30円」とある[6]。 映画版
16mmフィルム作品で、日活児童映画の4作目として制作された。昭和51年度文化庁芸術祭参加作品。上映時間は86分。 ストーリーはおおむね原作に沿っているが、細かいエピソードの入替えや改変・追加のほか以下のような設定や内容の変更がある。
ロケは日活の撮影所のある調布市やその近辺でおこなわれており、「協力」として調布市立滝坂小学校の名前が記載されている。水天宮に行くエピソードでは児童は京王線に乗り、新宿駅から地下鉄丸ノ内線で銀座駅に出て日比谷線に乗り換えている。 スタッフ出演
主題歌
推薦等
受賞
テレビドラマ
1982年5月11日、テレビ朝日系列の児童向けドラマ枠『ハウスこども傑作シリーズ』(ハウス食品一社提供)で放送された。 スタッフ出演者
脚注
関連文献
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia