喝!タルイバンド喝!タルイバンド(Kats! TARUI BAND)は日本のロックバンド。70年代末、現役高校生によるパンクバンドとして結成された。 別名「ザ・バンカース!(the bankers!)」。略称「KTB」。 略歴1978年、高校生だった垂井ひろし、進藤英俊らが、ラモーンズ、バズコックス、セックスピストルズなどパンクの影響を受けパンクバンドを結成。これが喝!タルイバンド(カツ!タルイバンド)のはじまり。 1979年、六本木のS-Kenスタジオ、吉祥寺のマイナーなどで東京ロッカーズの周辺バンドとライブを行い、高校生のパンクバンドとして話題になる。 80年代になり、日本におけるパンクロックのありかたに対する違和感から、垂井はザ・フーやビートルズなど60年代英国ロックに傾倒、進藤はレゲエ、サンバ、アフリカンミュージックを好むようになる。また、メンバーをなかなか固定することができず、試行錯誤が続いたが、1981年夏、垂井がボーカルでベース、進藤がギター、鮎川豊がドラムのトリオ編成で固定、積極的なライブ活動を再開。 同年、国分寺GOK SOUND STUDIOで一発録りしたデモデープが評判となり、翌1982年、当時のマイナーレーベル、アスピリンレコードよりシングルEP『ダンスそうじき/赤い花咲く緑の丘に』をリリース。 同年末、リードボーカルで杏子加入。強力なボーカリストを得て、ライブハウスでの動員に拍車がかかった[1]。 1983年、ドラムの鮎川が脱退し杉山靖幸が加入。 7月末で杏子が脱退、翌月よりバービーボーイズに加入し翌年メジャーデビュー[2] 。杏子脱退後、後任ボーカルは探さず、垂井がボーカルを担当。キーボード兼ギターとして嘉多山信加入。 1984年3月、進藤が音楽活動から引退、嘉多山がギター専任、 以後、垂井、嘉多山、杉山のトリオがバンドの基本編成となる。 同年、NHK YMF 東京大会で金賞(グランプリ)受賞するも、翌年の全国大会には進めず。 1986年、EastWest 決勝大会(中野サンプラザ)にて入賞。 1987年、ザ・バンカース!(the bankers!)に改名。 1989年、たるい正太郎with the bankers!としてTBSイカ天に出場。在宅審査員賞、挑戦者に選ばれたがイカ天キングのフライングキッズに敗れる[1]。 1990年、活動休止。1992年活動再開。 1997年、リードボーカルとしてタケイ歴宏加入。 1999年、バズエイプに改名。垂井脱退。2000年、バズエイプ解散。 2001年、垂井、嘉多山、杉山のトリオで喝!タルイバンド活動再開。キース・ムーン追悼などザ・フー・トリビュートイベントでは、旧名のザ・バンカース!を名乗っている。 2019年、インディーズレーベル Sea See Records よりCD『喝! TARUI BAND 1st』リリース。 作品
メンバー
元メンバー
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