善行寺 (名古屋市中川区)
善行寺(ぜんぎょうじ)は、愛知県名古屋市中川区愛知町にある真宗大谷派の寺院。山号は安井山(やすいさん)、本尊は阿弥陀如来。かつては三河国勝鬘寺の末寺であったという。 中川区愛知町41−19に存在する善行寺。 本堂に残存する棟札から、宝永3年(1706)までに旧名古屋郡米野村から移転したことが分かった。 2018年5月、官報に掲載され登録文化財となります。 対象は、善行寺本堂、玄関座敷、鐘楼、太鼓楼、手水舎、山門の6つ。 今回は、岡山理科大学 江面嗣人 教授を招き、 「文化財の保護の理念と善行寺本堂の価値」と題した講演が開催されました。 講演の要素をまとめておきたいと思います。 文化財保護の目的(文化財保護法1条より)を要素にすると ・保存と活用 ・国民 ・文化的向上 歴史的建造物が担うもの ・日本文化を伝える物 ・文化的向上 → 精神的向上・意識改革 ・本物の重要性 ・創造的活用 → 歴史的建造物を通して文化の理解を深め、人の精神的な向上、 高度な精神性の獲得というひとづくりを目的として、歴史的建造物を 創造的に活用すること。 善行寺本堂の価値 ・建築年代が棟札により正確に分かる ・その後の修復過程も棟札等によりほぼ明らかで、建物の来歴が明らか ・大工名が明らかで、特に有名な伊藤平左衛門(3代目・7代目)の作 ・伊藤平左衛門の技量を推量できる ・比較的規模の大きな五間堂仏堂 ・内陣の三つ並び、仏壇形式から後門経費きへの変更が確認され、過渡期を示す ・御成の間(大正期増築)は、最上級の客僧を迎えるための書院造が付属する ・境内にその他の寺院施設を良く残す 伊藤平左衛門は、尾張国の工匠の棟梁の名跡。 9代目は、愛知県庁舎・愛知県県議会など明治初期の東海地方に洋風建築を導入し、 東本願寺御影堂など多くの近代社寺建築も手掛けた。 善行寺と尾張藩との繋がりは、特別なつながりがあるとも想定されるそうです。 余談ですが、善行寺は、善光寺→普廣寺という号を変え、 高木と同じ、「よしひで」(善秀)の時代に現在の善行寺に改めたと伝わっています。 善行寺は、北に鎌倉街道、南に佐屋街道を位置。 信長が清洲城から熱田神宮を通って、桶狭間へと進んだ「桶狭間の戦い」との関連が有ります。 歴史創建年代は明確でないが、元は愛知郡米野村にあり、善光寺と言う禅宗の寺であった[1]。明応年間(1492年 - 1501年)に善光寺4世の覚順が蓮如に帰依して浄土真宗に改宗[1][2]。文亀元年(1501年)、北一色村の領主であった祖父江隼人の願いによってその屋敷に隣接した現在地に移って寺号を普廣寺に改め[1]、永正年間(1504年 - 1521年)には真蔵坊と号し[1]、寛永年間(1624年 - 1644年)の善秀の時代に現在の善行寺に改めたと伝わる[1]。なお、『小治田之真清水』では開山を洞屋祖潭とし臨済宗の普廣寺という寺であったと記している[2][3]。 山号の安井山については覚順の弟子・海善が安井氏の人で織田信長の親族であったとの話が伝わるほか[2]、『小治田之真清水』においては「京都の安井御門跡から賜った」との記述がある[3]。また、米野村の跡地にのちに立てられたのが、慶長10年(1605年)に創建された中村区下米野町の長松寺(臨済宗妙心寺派)であると考えられている[2]。 文化財登録有形文化財以下の建造物6件は、2018年5月10日に国の登録有形文化財に登録された[4][5]。
脚注参考文献
関連項目
外部リンク
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