唐池恒二
唐池 恒二(からいけ こうじ、1953年〈昭和28年〉4月2日 - )は、日本の経営者。九州旅客鉄道取締役相談役、九州観光機構会長、事業構想大学院大学特別招聘教授[1]。九州旅客鉄道代表取締役会長等を歴任。 人物本籍は大阪府である[2]。大阪府立三国丘高等学校[3]、京都大学法学部卒業。高校・大学では柔道部に所属[2] し、本人曰く「大学時代は柔道ばっかりしてまして4年の夏も大会があって就職活動してなかった」といい、1977年(昭和52年)4月の日本国有鉄道入社も「柔道部の先輩につられて」と述懐している[4]。九州旅客鉄道社長の青柳俊彦、東海旅客鉄道会長の柘植康英とは同期に当たる。東京北鉄道管理局に配属。国鉄バス棚倉営業所長などを務め、労組交渉に長く携わった[5]。 1983年(昭和58年)の大分鉄道管理局配属後は九州勤務となり、門司鉄道管理局などを経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時にJR九州に入社。特急「ゆふいんの森」やSL快速「あそBOY」等のリゾート列車、博多 - 釜山間の高速船「ビートル」の企画を手がけた[4][6]。 1993年(平成5年)には外食事業部次長を命じられ、8億もの赤字を重ね収益確保に苦しむ外食事業の立て直しを手がけて、3年で黒字化を果たし同部門の子会社化(JR九州フードサービス)に先鞭をつける[7]。一旦経営管理部に異動するが、2000年(平成12年)には再び経営が悪化しつつあったJR九州フードサービスの社長に再就任、同社が展開する炭焼創菜料理店「うまや」の東京進出などといった経営改善策を実行し、当時3年間連続で赤字を計上していた同社の黒字化に貢献した[6]。 その後JR九州に戻り、2009年(平成21年)6月から2014年(平成26年)6月までJR九州代表取締役社長を務め、豪華列車「ななつ星 in 九州」の立ち上げに寄与した[4]。同月27日付で代表権のある取締役会長に就任[2]。 2021年(令和3年)6月、九州観光推進機構の会長に就任[8]。後に、「推進」の文字を削り、九州観光機構と組織名称を変更している[9][10]。 略歴
テレビ出演
書籍著書
共著
脚注
関連項目外部リンク
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