和田寧

和田 寧(わだ やすし[1]/ねい[2]天明7年(1787年) - 天保11年9月18日1840年10月13日))は、江戸時代の和算家・武士。前名は香山政明、は子永、通称は直五郎、豊之進。は算学、円象。

生涯

天明7年(1787年)生まれ。播磨国三日月藩(現在の兵庫県)の藩士であったが、浪人となり江戸に住む。和算家の日下誠より和算を学ぶ。増上寺の寺侍を経て土御門家の算学棟梁となる。

和算の円理で活躍し、後世に名を残す。円理豁術(えんりかつじゅつ)なる分野を生み出し、それに基づいて円理を作った。これを一種の定積分表と見なす文章も散見し[3]、これによって和算で放物線などの曲線研究が始まったともされる[3]。関数の極値などの研究も行ったとされる。微分法におけるピエール・ド・フェルマーの方法を発見したとの文献もある[4]

天保11年9月18日(1840年10月13日)に54歳で死去する。

参考文献

脚注

  1. ^ 加藤平左エ門『日本数学史』 下、槙書店、1968年、132頁。NDLJP:1383241 
  2. ^ 和田寧』 - コトバンク
  3. ^ a b 和算の発展の歴史
  4. ^ 和算の歴史3(幕末以降)和算の普及と終焉