名村 元義(なむら もとよし)は幕末の阿蘭陀通詞、蘭学者。長崎通詞名村氏別家7代目。ジャーナリスト福地源一郎の師で、一時養子とした。
経歴
享和2年(1802年)生まれ。文政5年(1822年)稽古通詞、文政11年(1828年)小通詞末席となり、天保3年(1832年)から天保6年(1835年)まで江戸天文台に勤務し、天保8年(1837年)小通詞並。天保12年(1841年)9月25日養父三次郎が死去し、家督を継いだ。弘化元年(1844年)小通詞助、弘化2年(1845年)小通詞。嘉永元年(1848年)松前から護送されてきたラナルド・マクドナルドの通訳に当たった。安政2年(1855年)大通詞過人、安政4年(1857年)大通詞。長崎海軍伝習所でカッテンディーケ等の講義を通訳した。嘉永2年(1849年)年番小通詞、嘉永4年(1851年)・安政元年(1854年)・安政3年(1856年)・安政4年(1857年)参府休年出府通詞を務めた。安政6年(1859年)9月7日万屋町で死去し、晧台寺に葬られた。戒名は徳翁元義居士。
訳書等
- 『西暦新編』 - 天文台時代の作。ペイポ・ステーンストラ (Pibo Steenstra) 原著[2]。天保8年(1837年)天文方山路諧孝編[3]。
- 『遠西火攻精選』 - 高島秋帆がオランダ商館長ニーマンから入手したセッセレル著『主要花火工品製造に関する便覧』[4]の翻訳で、19世紀初の砲術翻訳書。江川英龍門下に流布した。
- 『和蘭炮術全書』 - オーフルストラテン (J.P.C. van Overstraten) 原著[6]。
- 『泰西水軍操砲鑑』 - ピラール (Jan Carel Pilaar) 原著[7]。
- 『歩兵全書』
- 『遠西軍艦砲要』
- 「阿蘭陀国軍艦長崎入港仕末」 - 天保15年(1844年)来港したフリゲートの見聞記[8]。
弟子
親族
- 実兄?:小川慶右衛門 - 大通詞。
- 養父:名村三次郎元武(八十郎延護) - 小通詞。
- 妻:政(満佐) - 三次郎娘。天保11年(1840年)4月19日没。
- 長男:名村五八郎元度 - 箱館奉行支配調下役格。34歳のとき通弁として万延元年遣米使節に参加
- 養子:福地源一郎
- 養子:名村泰蔵(北村元四郎)
- 次男:名村貞五郎元竜 - 天保12年(1841年)生。安政5年(1858年)稽古通詞、文久元年(1861年)小通詞末席、長崎県上等通弁役・権小属。明治3年(1870年)4月12日没。
脚注
参考文献