名古屋市立高蔵小学校
名古屋市立高蔵小学校(なごやしりつ たかくらしょうがっこう)は、名古屋市熱田区花町に所在する公立小学校。 歴史1873年(明治6年)12月25日を学校の創立日としている[1]。明治初年の名古屋県(愛知県の前身)では、義校と呼ばれる学校の設立が推奨されており、この日、住吉神社地蔵堂において第二十九義校として産声を上げたのであった[2]。 この義校は、学制による小学校が正式に成立するまでの橋渡しの役割に過ぎなかったため、翌年に6月には早速第四十三番小学住吉学校と改組された[2]。 1887年(明治20年)に至って、学校の根拠法が小学校令へと変わるタイミングで、学校が所在した愛知郡において大規模な学校再編が実施されることとなった[3]。住吉学校は愛知郡尋常小学白鳥学校(名古屋市立白鳥小学校の前身)に吸収され、その分校扱いとされた[4]。1889年(明治22年)8月には白鳥学校は熱田学校と名称を改めている[5]。 1892年(明治25年)には再び住吉尋常小学校として独立し、1896年(明治29年)3月には熱田町立第三尋常小学校となった[6]。1901年(明治34年)には現在の校地に移転を果たし、同時に熱田町立第四尋常小学校を吸収している[WEB 2]。 1907年(明治40年)には愛知郡熱田町が名古屋市に吸収されたため、校名を名古屋市高蔵尋常小学校と改めている[7]。高座結御子神社の俗称「高蔵社」に由来する当地の地名がつけられたものである[8]。 1941年(昭和16年)には国民学校令による名古屋市高蔵国民学校の名称に改めている[9]。戦時下行われた学童集団疎開では622名の児童が愛知県中島郡祖父江町において集団生活を余儀なくされた[10]。 戦後は、新制度下の名古屋市立高蔵小学校として再出発をしている[9]。このとき、かつて分離した草薙国民学校の学区の全域および波寄国民学校の学区の一部を吸収している[9]。 沿革
児童数の変遷『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]。
通学区域所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、熱田区のうち、 尾頭町・金山一丁目・金山町一丁目・金山町二丁目・桜田町・沢上一丁目・沢上二丁目・沢下町・新尾頭一丁目・新尾頭二丁目・新尾頭三丁目・外土居町・高蔵町・波寄町・花町の全域および池内町・五本松町の各一部を通学区域として指定している[WEB 3]。 また、卒業後の進学先は名古屋市立沢上中学校となっている[WEB 4]。 交通アクセス関係者出身者脚注WEB
書籍
参考文献
関連項目外部リンク |