口羽良介
口羽 良介(くちば よしすけ、弘化2年(1845年) - 明治36年(1903年)6月28日)は、江戸時代末期の長州藩重臣。寄組口羽氏(1018石)7代。通称は六左衛門[1]。幼名は熊之允[1]。 生涯弘化2年(1845年)に長州藩寄組の益田元固の五男として生まれ、寄組口羽房通の養子となる[1]。 明治維新前は同志とともに国事に奔走した[1]。明治維新後は萩町第一区長、山口県第二十大区長などを経て、明治12年(1879年)1月6日に初代阿武郡長、見島郡長となり十数年在職し、晩年には小郡町長を務めるなど山口県の行政に携わった[1]。明治36年(1903年)6月28日死去[1]。享年59[1]。 脚注参考文献
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