双柿舎双柿舎(そうししゃ)は、静岡県熱海市水口町にある建築物。坪内逍遥が1920年(大正9年)から死去する1935年(昭和10年)までの晩年を過ごした。庭にカキの木が2本あったことから、早稲田大学での同僚である会津八一により「双柿舎」と命名された[1][2]。 逍遥の没後は早大に寄贈され、現在も大学の管理下にある。 建物建物は逍遥自身の設計になるもので、木造2階建てが2棟と、鉄筋コンクリート3層建ての書屋(仏塔の形に似た書庫)からなる。入り口の門には、会津の手によって書かれた「雙柿舎」の扁額が掛かる(「双」の字は旧字体である)。逍遥が住んでいた当時のカキの木は既に枯れてしまったが、代わりに、逍遥が10歳までを過ごした岐阜県美濃加茂市より移された蜂屋柿の木が2本植えられている。 作品この地に住むようになって以後、逍遥は短歌や俳句を作るようになる。その作品集として『柿紅葉』(逍遥協会、1988年)がある。 墓所逍遥の墓所は、同じ水口町の海蔵寺(かいぞうじ)にある。 脚注
参考文献
外部リンク
座標: 北緯35度5分44.4秒 東経139度3分58.4秒 / 北緯35.095667度 東経139.066222度 |