南條新太郎
南條 新太郎(なんじょう しんたろう、1917年3月20日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は杉原 義信(すぎはら よしのぶ)[1][2]。主に新興キネマ、大映京都撮影所の時代劇で活躍した名脇役である。 来歴・人物1917年(大正6年)3月20日、兵庫県神戸市に生まれる[1][2][3]。大阪商業学校(現在の大商学園高等学校)中退[1][2][3]。 1936年(昭和11年)、満19歳で新興キネマのスター募集に応じて採用され、同年9月1日、新興キネマ京都撮影所へ入社[1][2][3]。1937年(昭和12年)に公開された野淵昶監督映画『吉田御殿』の近習役で映画デビューを果たす[1][2][3]。次いで牛原虚彦監督映画「旗本伝法」シリーズで第11代将軍徳川家斉役に起用され、また、同年公開の森一生監督映画『岡野金右衛門』で一躍、主演に抜擢される[1]。端正なマスクと真面目な性格であり、その甲斐があって以後も多くの作品で主演に抜擢され、1942年(昭和17年)、大映に改称された後も引き続き出演を続けた[1][2][3]。その後、退社して応召と実演の生活が続いていたが、終戦後の1947年(昭和22年)、大映京都撮影所の松田定次監督映画『宵祭八百八丁』で映画界に復帰する[1][2][3]。1952年(昭和27年)には大映京都撮影所と正式契約し、以後脇役として1971年(昭和46年)に大映が倒産するまで活躍した[1][2][3]。 倒産後はフリーとなり、テレビドラマにも積極的に出演していたが、1973年(昭和48年)に公開された吉田喜重監督映画『戒厳令』に特別出演して以降の出演作品が見当たらない[1][2][3]。その6年後、1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集 男優篇』では、存命人物として大阪府大阪市南区安堂寺橋通(現在の同市中央区南船場)の連絡先が示されている[1]が、以後の消息は不明である。2014年(平成26年)に発行された『日本映画美男俳優 戦前篇』では、既に故人であるというが、没年不詳[3]。 出演作品映画
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