北爪弘子

獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
アジア柔道選手権
1988 ダマスカス 61kg級
1991 大阪 61kg級
東アジア大会
1993 上海 61kg級

北爪 弘子(きたづめ ひろこ、1971年9月8日 - )は群馬県佐波郡赤堀町出身の日本柔道家。身長155cm。現役時代は61kg級の選手。得意技は背負投一本背負投[1][2]。現姓は石川[3]

人物

中学1年の時に親戚が経営している柔道の道場に入門を志すも、女人禁制を理由に断られたが毎日のように道場に日参したことで、師範が根負けして入門が許可されることになった[1]。中学3年の時には強豪校の東中学に転向した。常磐高校に入学すると、1年の時には無差別で争われる金鷲旗の女子個人戦で3位となった。全国高校選手権では1年の時から2連覇を達成した[1]。3年の時には強化選手選考会でも優勝を飾った[2]。1990年に埼玉大学に進学すると、強化選手選考会で2連覇を達成した[1]。2年の時には正力杯で優勝すると、アジア選手権では3位だったものの、福岡国際では3回戦でドイツのフラウケ・アイコフを背負投、決勝でもフランスのカトリーヌ・フローリを一本背負投で下すなど新旧世界チャンピオンを連破しての優勝を飾り、バルセロナオリンピックの代表有力候補となった[2]。しかし、1992年の体重別では2回戦で、後にレスリングに転向して61kg級世界チャンピオンになった住友海上宮崎未樹子に効果で敗れてオリンピック代表を逃した[2]。1993年の体重別では決勝で住友海上の恵本裕子を2-1の判定で破って世界選手権代表に選ばれた。しかし、世界選手権では初戦で敗れた[4]。1994年に大学を卒業してあさひ銀行所属となると、体重別では惠本に1-2の判定で敗れて2連覇はならなかった[2]。1995年の全国女子体重別で優勝を飾るが、1996年の体重別では決勝でダイコロの中橋治美に技ありで敗れてアトランタオリンピック代表には至らなかった[4]。その後、淑徳中学の教諭になると全国女子体重別では2連覇を飾った。1997年にはワールドカップ国別団体戦で3位となると、フランス国際では優勝を飾った[4]。体重別では決勝でミキハウスの小笠原守美に注意で敗れるも、2度目の世界選手権代表に選ばれた。世界選手権では3回戦で地元フランスのセブリーヌ・バンデネンドに判定で敗れると、敗者復活戦でも韓国の鄭成淑に有効で敗れて7位に終わった[4]

主な戦績

(出典[2]JudoInside.com)。

脚注

  1. ^ a b c d 「ZOOM IN 素顔 北爪弘子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年1月号、90-91頁
  2. ^ a b c d e f 「平成6年度後期国際試合強化選手名簿」近代柔道 ベースボールマガジン社、1995年2月号
  3. ^ 埼玉大学柔道部 先輩紹介
  4. ^ a b c d 学校法人群馬常磐学園 常磐高等学校部活動 柔道部

外部リンク

  • 北爪弘子 - JudoInside.com のプロフィール(英語)