北海道東方沖地震
北海道東方沖地震(ほっかいどうとうほうおきじしん)は、1994年(平成6年)10月4日に北海道根室沖約200km(北緯43度22.5分、東経147度40.4分、深さ28km)の地点を震源として発生した、M8.2の沈み込んでいる太平洋プレート内(スラブ内)で発生した地震。 概要地震の規模はM 8.2[注 1](USGSではMw 8.3[1])で、最大震度は釧路市と厚岸町で観測された震度6。1993年(平成5年)釧路沖地震と同じ海洋プレート内地震である。また、日本近海で発生した地震としては、平成に入ってから初めてM8を超えた。 10月9日には M7.3[2]の最大余震を観測した。 1969年にはすぐ東隣の領域で色丹島沖地震が発生している。 被害全体での被害は釧路市で最も多く、負傷者437人、住宅全壊61棟、半壊348棟、一部損壊7095棟、浸水184棟であった。死者9人、行方不明者2人はすべてロシアの実効支配下の択捉島で発生した。このほか、道路損壊・崖崩れ・マンホールの浮き上がりなどが多数発生し、埋立地を中心に液状化現象も発生した。釧路市の被害が注目されているが、中標津町・別海町・標津町の被害も甚大で、国道・道道など多数の道路が寸断され家屋も多数全半壊している。中標津町では当初震度4とされたが地震計が設置されている場所が市街地から離れており、地盤も頑丈であったため被害状況から判断して震度5強〜6弱程度の揺れがあったと推測される。 津波札幌管区気象台は22時28分に北海道の太平洋沿岸に『津波警報』、オホーツク海沿岸に『津波注意報』を発表した。観測された主な津波波高は根室市花咲港で173cmなどだったが、地震発生直後に津波警報・注意報が発表され緊急警報放送が実施されたためか[3]、北海道での被害は少なかった。 北方領土の島々にも被害が及んだ。特に択捉島では地震による直接の被害に加え、津波も襲来し、死者・行方不明者合わせて11人。1万人近くの人々がロシア本土への移住を余儀なくされた。また、色丹島はこの地震後衰退した。 オホーツク海内を波源とする別の津波が観測されており、海底地滑りか何らかの変位が生じ、津波を発生させた可能性が示唆されている[4]。 震度震度は以下のとおり[5]。震度の基準及び観測した市町村名は当時。この地震では、東北地方の太平洋側で震度4、東京など関東地方・中日本でも震度3を観測した一方で、北海道内の旭川や留萌で震度2、稚内で震度1にとどまるなど、異常震域の傾向を呈した。
脚注注釈
出典
出典関連項目外部リンク
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