北楯大堰北楯大堰(きただておおぜき)は、山形県庄内地方の一級河川・最上川下流部の左岸地域[1]に開削された疎水(用水路)である。 概要・沿革1612年(慶長17年)に[2]、最上義光の重臣で狩川城主の北楯利長が10年にわたる新田開発調査を経て[3]、立谷沢川からの灌漑を促進する為に建設した。 1日あたり7400人の作業員などの動員でわずか4ヶ月で約10キロの水路を完成させたと伝わり[3]、その後、延長工事を行い、総延長32kmとなった[4]。この開削をきっかけに約5,000haの新田が開発され、88の村が開村した[5]。 新田は米どころ庄内の礎となり、水路は今日も庄内平野の水田を潤している。また水路開削に尽力した北楯利長は、その功績を讃えられ、狩川駅から徒歩10分の地に水神として北舘神社に祀られ[6]、水路は北楯大堰と名付けられた。 2018年8月14日、農林水産省は北楯大堰が国際かんがい排水委員会によって、歴史的価値のある農業用水利施設を登録する「かんがい施設遺産」に選出されたと発表した。県内では初の選出となる[7]。
所在地
アクセス周辺脚注
関連項目外部リンク
座標: 北緯38度47分23.2秒 東経140度01分13.5秒 / 北緯38.789778度 東経140.020417度 |