北条氏貞
北条 氏貞(ほうじょう うじさだ)は、河内国狭山藩の第6代藩主[1]。正室は大関増恒の娘・岩[2]。 生涯元禄16年(1703年)、第5代藩主・北条氏朝の長男として生まれる[2]。母は秋月種信の娘・竹[2]。幼名は亀之助[2]。 正徳4年(1714年)8月11日、将軍徳川家継に拝謁する[2]。享保19年(1734年)12月18日、従五位下相模守に叙任[2]。 享保20年(1735年)9月、父・氏朝が亡くなり、同年11月25日、家督を継ぐ[2]。元文元年(1736年)4月18日、領地に行く許しを得る[2]。 延享2年(1745年)11月14日、美濃守に改める[2] 寛延元年(1748年)、将軍徳川家重から、狭山新町と狭山池の支配を免ぜられた[3]。 宝暦8年(1758年)4月24日(『狭山町史』)、または4月27日(『寛政重修諸家譜』)[2]、江戸で死去[3]。56歳[2]。法号は広覚院殿信叟義堅大居士[4](『寛政重修諸家譜』では信叟義監広覚院[2])。 内政
脚注出典
参考文献 |