北条氏信 (狭山藩主)
北条 氏信(ほうじょう うじのぶ)は、河内国狭山藩の第2代藩主。正室は佐久間安政の娘[1]。子は北条氏宗、娘(佐久間勝盛正室、のち離婚)[2]。 生涯慶長6年(1601年)、初代藩主・北条氏盛の長男として誕生[3]。母は船越景直の娘[1]。幼名は太郎助[4]。初名は氏勝[2]。 慶長13年(1608年)5月18日、父・氏盛が死去し、同日、8歳で家督を継ぐ[3][4]。同17年(1612年)、駿府で徳川家康に拝謁した[3]。その後、江戸へ行き、徳川秀忠に仕えた[3]。同年、愛宕下に上屋敷(江戸屋敷)を拝領した[5]。 慶長19年(1614年)、大坂の陣では、幼少のため江戸に留まった(牛込御門番)[3]。 元和元年(1615年)、豊臣家滅亡後、秀忠は諸大名に帰国を許し、氏信は初めて領地の池尻村(丹南郡[6])に入った[3]。同2年(1616年)春から狭山池の東北に陣屋(狭山陣屋)を構築した[3]。同6年(1620年)、池普請奉行を務めた[7]。 元和9年(1623年)8月6日、従五位下美濃守に叙任[2]。 寛永2年(1625年)10月24日、江戸藩邸で死去した[3][1]。25歳[3][4]。法号は竜興院殿梅澗宗雲大禅定門[4]。祥雲寺(現・東京都渋谷区)に葬られた[3]。 注釈
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