北マケドニアの大統領
北マケドニアの大統領(きたマケドニアのだいとうりょう、マケドニア語: Претседател на Република Северна Македонија、アルバニア語: Presidenti i Republikës së Maqedonisë së Veriut)は、北マケドニアの元首たる大統領である。 概要現代の北マケドニアの大統領府は、1991年に北マケドニアがユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した後に誕生した。初代大統領にはキロ・グリゴロフが就任し、1999年の退任時まで、当時の各国の現職の大統領としては最高齢であった。北マケドニアの大統領は行政を担当しない。行政府の長は北マケドニアの首相である。大統領は北マケドニアの市民であり、年齢は40歳以上、過去15年の間にすくなくとも10年以上北マケドニアに在住した者に限られる[1]。 歴史1991年の独立以前の、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代のマケドニア社会主義共和国では、集団大統領制が採用されていた。その最初の議長は、マケドニアで初めての現代的な国家を創設したマケドニア人民解放反ファシスト会議(ASNOM)によって選出されたメトディヤ・アンドロフ=“チェント”(Metodija Andonov Čento)であり、最後の議長はヴラディミル・ミトコフ(Vladimir Mitkov)であった[3]。社会主義国から議院内閣制に転換した1990年、マケドニア社会主義共和国は集団指導体制を放棄し、単一の大統領を元首とした。キロ・グリゴロフは1991年1月27日、その最初の大統領となった[注釈 1]。1991年4月16日、マケドニア議会は憲法改正を可決し、憲法に定める正式な国名から「社会主義」の語を外し、国名は「マケドニア共和国」へと改名された[4]。ユーゴスラビア崩壊に伴って1991年9月8日に正式に独立し、独立国マケドニア共和国となった後、グリゴロフはその元首となり、1999年にボリス・トライコフスキに交代するまでその職を務めた。トライコフスキの事故死に伴って、その地位はブランコ・ツルヴェンコフスキに引き継がれた。2009年マケドニア共和国大統領選挙ではジョルゲ・イヴァノフが当選し、5月から大統領に就任した。2019年2月12日にはギリシャとの合意により、国名が「北マケドニア共和国」に変更されている[5]。 マケドニアの指導者(1943年 - )[6]社会主義時代(1943年 - 1991年)ASNOM準備委員会議長
ASNOM議長
人民会議幹部会議長
人民会議議長
大統領評議会議長
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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