加藤 文元(かとう ふみはる、1968年7月27日 - )は、日本の数学者。東京工業大学名誉教授。学校法人角川ドワンゴ学園理事。株式会社SCIENTA・NOVA代表取締役。博士(理学)。専門分野は代数幾何学・数論幾何学(対数的幾何学、リジッド幾何学、志村多様体、モジュライ理論、代数的微分方程式)。
経歴
1968年宮城県仙台市生まれ[1]。1987年宮城県仙台第一高等学校卒業。1993年京都大学理学部卒業。1997年京都大学大学院理学研究科博士後期課程(数学・数理解析専攻)修了、博士(理学)の学位を取得。
その後、九州大学大学院数理学研究院助手、京都大学大学院理学研究科数学専攻准教授、熊本大学大学院自然科学研究科理学専攻数理科学講座教授などを経て、東京工業大学理学院数学系教授。その間、ドイツ・マンハイム大学 Wissenschaftlicher Mitarbeiter、フランス・ポアンカレ研究所客員研究員、マックス・プランク研究所客員研究員、パリ第6大学客員教授、レンヌ大学客員教授なども歴任[2]。
専門は代数幾何学・数論幾何学[3]。日本数学会代数学分科会運営委員[4]。
2019年に著書『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』で第2回八重洲本大賞を受賞[5][6]。2020年9月末で東京工業大学を退職[7]、株式会社SCIENTA・NOVA[8]代表取締役。
2020年6月29日、N予備校にて「ガロア理論特別講義」の講義を実施してオンラインでも中継。2022年から2022年3F月までN予備校にて、全12回の「数学史」の講義を同様に実施。2023年度も同様に「幾何学の歴史-非ユークリッド幾何学への道-」の講義を実施した。
家族・親族
人物・エピソード
- 大学に入学した当初は、数学の専門家になろうとは毛頭考えていなかったという。むしろ、「数学科に行くと性格が悪くなる」という一種の偏見を持っており、数学科は避けていた。最初は物理学科に進もうと考えていたが、生物学のほうが面白そうだ、あるいはお金になりそうだと思うようになり、生物学科に進学した。しかし、解剖や実験が嫌いであったこと等からモチベーションが上がらず、またサークル活動も忙しかったため、勉強を蔑ろにしがちであった。4年生に進級する際、自分に生物学は向いていないと感じ、またサークルも引退したため、大学を休学して仙台にある実家に帰った。何もすることがなく手持ち無沙汰であったときに目に入ったのが、『おもしろい数学教室』(ヤコブ・ペレルマン著/山崎昇訳)という小学生のときに数学者である祖父に買ってもらった本だった。その中に書かれている「二乗しても変わらない無限に続く数」という概念に目が留まった。このとき、どうやら自分が見たこともない数の世界があると気付いたのだという。そこからその概念に興味を持ち始め定理をまとめた。それをトーリック多様体で有名な小田忠雄(当時東北大学教授)に見せたところ、「無手勝流であるが、クルト・ヘンゼルという数学者が約100年前に書いたp進数の体系と全く同じものである」と言われた。さらに小田教授が驚き評価したのは、「ヘンゼルの補題」というp進数を扱う上で最も基本となる定理を何も見ずに編み出したという点であった。そこで、小田教授に勧められた『可換体論』(永田雅宜著)という数学書を参考にヘンゼルの補題を追証明することにした。すると、苦労した証明の言い回しを現代数学は巧妙に「きれいな言葉」で行なっており、そこから数学の魅力に惹かれていった。このとき、もはや生物学を学ぶ気はなくなっていたという。その後、数学科へ転向した[20][21]。
- 小・中・高の同級生に天文学者の小久保英一郎がいる。彼とは実家が近所であり、高1では同じクラスだった[22]。
- 趣味・特技はピアノで、大学在学中には音楽大学に入り直そうと思っていた時期もあったという[23]。
著作
脚注
注釈
出典
外部リンク