加藤徹 (内野手)
加藤 徹(かとう とおる、1967年3月5日[1][2] - )は、北海道室蘭市出身[1][2]の元社会人野球選手(内野手)・監督。右投右打。 経歴・人物野球が盛んでなかった北海道出身ながら、幼少期から野球に熱中する。室蘭大谷高等学校時代[2]は北海道の田舎町という地域柄、全くの無名選手であった[1]。 大学は当時道内の強豪校であった北海道地区大学野球連盟・道都大学に進学。入部後は三塁の守備力が向上し、チームに欠かせない存在となる。在学時の1988年春には1部優勝し、全日本大学野球選手権大会にも出場した[1]。 大学卒業後は日産サニー札幌に入社。同社硬式野球部でキャプテンを務めるまでに至っていたが、バブル崩壊のあおりを受け、1992年にチームが解散する。行き場を失っていたが、スカウトされて新日本製鐵室蘭に入部。すぐに三塁のレギュラーを掴み、ここでもキャプテンを務めた[1]。 しかし、新日本製鐵の業績不振から、1994年に休部が決定。そこで加藤をはじめとした有志によって、1995年、企業チームではないクラブチーム・室蘭シャークスを創設。加藤は正三塁手を務めるとともに、兼任で同チームの初代監督に就任した。強豪クラブチームとして名を馳せ、1996年に日本選手権、2001年に都市対抗野球初出場を飾っている[1]。 同年の都市対抗野球終了後に一時はチームを離れるも[3]、2008年に監督に復帰[4]。2013年をもって勇退したが、現在も副部長としてチームを支えている[5]。 現在、日本野球連盟北海道地区連盟の理事及び技術委員会委員長を務め[6]、2017年に行われた北海道野球連盟選抜チーム対北海道日本ハムファイターズ二軍のプロアマ交流試合には選抜チームの監督として参加[7]。プロ相手に勝利をあげている[8]。 また、都市対抗野球大会の解説も度々務めている。 2022年8月からは侍ジャパン社会人代表の野手コーチに就任した[9]。 脚注
外部リンク
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