前田真宏 (アニメ監督)
前田 真宏(まえだ まひろ[1]、男性、1963年[1]3月14日[2] - )は、日本のアニメーター、デザイナー、アニメ監督、漫画家[3][4][1]。鳥取県[1]米子市出身[5]。鳥取県立米子東高等学校、東京造形大学造形学部卒業。カラー所属[6]。 来歴・人物もともと絵を描くのが好きで、自分の進路を考えるようになった中学生の頃、ちょうどアニメブームが起きたので、ぜひこれを仕事にしようと思うようになった[7]。東京造形大学時代には漫画研究会で漫画を描いていた[8]。また当時、同会には貞本義行も在籍していた[8]。1983年に大阪で開催された第23回日本SF大会(DAICON IV)で上映されたオープニングアニメの制作に、同郷の赤井孝美の誘いで貞本とともに参加した[9]。 1980年代前半の大学在学中から、スタジオジブリやDAICON FILMを母体に設立されたガイナックスでアニメーターとして働く[7][10]。アニメファンになったきっかけである『未来少年コナン』の監督だった宮崎駿が自身の漫画『風の谷のナウシカ』を映画にすると聞き、当時DAICON FILMで一緒に自主制作アニメを作っていた庵野秀明たちを誘って「ぜひスタッフにしてくれ」とスタジオジブリの前身であるトップクラフトに押しかけ、原画を担当することになった[7][11]。また1982年に原画を担当したテレビアニメ『超時空要塞マクロス』が放送され、プロのアニメーターとしてデビューした[3]。『風の谷のナウシカ』の後、宮崎駿の個人事務所「二馬力」に遊びに行くようになり、そこで「新作をやるならぜひ参加させて欲しい」と頼んでいたところ、ジブリの『天空の城ラピュタ』の制作に参加できることになり、先に参加していたガイナックスの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の原画を休むことになった[12][注 1]。 その後、ガイナックスを離れてフリーランスとなるが、仕事の幅を広げようと1992年に樋口真嗣・同郷の山口宏らと共にアニメ制作会社ゴンゾを設立した[10][13]。 1998年、ゴンゾの出世作となったOVA作品『青の6号』で監督デビュー[6]。デジタルアニメとセルアニメを組み合わせたその斬新な映像スタイルは業界内外で高い評価を得た[7]。 2004年の監督作品『巌窟王』は、もともとは学生時代からずっとやりたかったアルフレッド・ベスターのSF小説『虎よ、虎よ!』の映像化企画だったが、権利関係で許可が下りなかった[14]。そこで、その翻案元である古典小説『モンテ・クリスト伯』をSF仕立てにすることを提案したところ、制作が決まった[7]。 前田の才能は世界的にも高く評価されており、海外作品にも複数参加している[3]。映画『マトリックス』のアニメ版『アニマトリックス』では監督を務め、クエンティン・タランティーノの映画『KILL BILL』ではアニメーターとしてアニメパートで原画を描いている[7]。『アニマトリックス』は全世界で100万本のセールスを達成し、前田のアニメーション監督としての名を高めた[7]。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では、シリーズの監督を務めるジョージ・ミラーの要望でデザイナーとして参加している[15][注 2]。 庵野秀明のエヴァンゲリオンシリーズでは最初、デザインや原画を担当していたが、リブート映画ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』からは庵野総監督の下で監督を務めている[4]。また、庵野の実写映画『シン・ゴジラ』や『シン・仮面ライダー』などでもデザインを担当している[3][4]。 左利き[要出典]。『遠い海から来たCOO』のコミカライズでは原作とは違う独特な切り口を見せた[要出典]。『∀ガンダム』のMSマヒローの名は彼がデザインしたことに由来している。また東京造形大学在学中の一時期、芸能山城組でアルバイトメンバーとして踊りなどを担当していた[17]。 主な参加作品テレビアニメ
テレビドラマ
アニメ映画
実写映画
OVA
Webアニメ
パイロットフィルム
ミュージック・ビデオ
ゲーム
イラストなど
漫画作品
出演ドキュメンタリー脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
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