利用者:Earthbound1960/Sandbox/work2経験とは(けいけん、ギリシア語: empeiria、英語: experience、ドイツ語: Erfahrung, Erlebnis[1]、フランス語: expérience )語の意味では漢語的には「験(ため)しを経(へ)た」こと、大和言葉で「やって、みた」ことであり、ラテン語の empirical [2]は「知識なしに経験や練習だけで行うこと」を意味する。また、Erfahrungなどの語根は「貫き」「通す」ことを意味する。 特に、ギリシア語: empeiriaの形容詞であるギリシア語: empeiros は熟練者への信頼を意味する用語であり、哲学の領域では特殊な意味合いを持って使用される[3]。 一般にある行為する人が行為 A ( Action ) が、その結果である知覚体験 E ( Experience ) との因果課程である A → E 「 Action から Experience 」を通った事によって得た知識を意味する。実験( experiment )や熟練者( Expert )の語義も同根である[4]。
ギリシア哲学期における経験の扱いギリシア哲学においてソフィストやストア学派は、知識・技術の成立のための基盤として経験の意義を重視した。 プラトンは単なる経験に基づく認識は相対的で不完全な技術知として扱っていた。また、アリストテレスによると、単なる経験に基づく認識は相対的で不完全な技術知としており、哲学的認識の名に値しないという西洋哲学の主流的伝統が形成された[5]。しかし、アリストテレスの哲学はプラトンの哲学と比較すると経験論的と言える[3]。 エピクロス哲学[6]においては感覚的経験が知識の唯一の起源とする経験論的な思想が含まれている。また、アリストテレスの心理学をもとに、概念が形成される過程を考察したトマス・アクィナス哲学[7]においても経験論的な傾向がある[3]。 経験が日常の行為の結果によって得られた知覚体験を伴うため、知覚が幻覚もしくは錯覚のような誤りを発生しやすいという特性があるため、古代ギリシア哲学以来、経験に基づいた認識を知識全般の根拠にはならないという、西洋哲学の伝統が形成された。特に形相/質料、理性/感性、アプリオリ/アポステリオリ、必然/偶然、生得観念/獲得観念[8]といった二分法の世界では、経験は常に各々の対立概念において後者に関係すると考えられるようになった[4]。 経験が再評価されるのは、ルネサンス期に至って経済、政治、自然科学、芸術などの分野において新しい経験が急激に増大するのを待つ必要があった[5]。
経験論ルネサンス期において新たな経験が急激に増大するようになり、フランシス・ベーコンは、超越的(アリストテレス思想に当てはまらないという意味で[9])で、しかも内容の伴わない色々な原理や実体から学問を開放し、学問を増大した経験の事実によって学問を生産的に進化強化にしようとした。 同時にまた経験による無方法的で統一性の無い知識の収集が受動的な堆積に終わることに警鐘を鳴らし、方法論的に指導され構成される能動的経験である実験の必要性を強調した[5]。 すべての超越的原理や偶像的権威を経験という視点で再考察をするという、イギリス経験論によって近代の学問の自由が確保され、学問は飛躍的に進歩拡大した。 しかし、生得観念[10]の存在を否定しようとしたロックらの経験主義思想においても[11]、経験は何も書かれていない白紙のような精神に様々な観念を刻印していく感覚や印象のような感性的体験と考えられていた[4]。 また、経験論に付随する相対主義が懐疑主義への危険をはらんでいることはヒュームにおいて顕著に現れていた[5]。
カントにおける経験カントは、事実としての経験を発生したものを闇雲に分析するのではなく、経験の持つ論理的な適合範囲や経験の持つ能力を論理的に基礎づけようとした。 先験的[12]な独断論を避けるためにその経験に関する様々な概念はどこまでも経験の領域にのみ適用される必要があった。 しかし、この先験的な考え方は経験を経験のみで構成し、そうすることより、経験以外では経験を構成し修正することが不可能となり[13]、経験的なものを先験的なものに抽象化することになってしまった[14][5]。
ヘーゲルにおける経験ヘーゲルは認識の原点について感覚・知覚・経験・理解という認識の弁証法的諸段階を区分した[15]。この種の区分は経験が感覚的確信や知覚よりも一段と高次の概念であることを意味しており[16]、歴史上の哲学者が経験を感覚や知覚から区別してきた事実に一致している[17]。 このような観点からみると、「行ってみた」という経験は単なる行為でも、単なる知覚体験でもなくその両者の間に生じた因果連関の認識であると考えられる[18]。例えば焚き火に当たることで身体が暖かくなったり、炎に触れて火傷をするといった「行為的因果連関」の認識があってこそ火の経験が成立するのであり、火に当たっても体が温まらず、炎に触れても火傷をおわない場合には、それはそもそも火ではないという対象理解が獲得されるといえる[19][4]。
観念的合理主義以降カントによって収束された近代哲学の観念的合理主義を乗り越える試みは、コントの実証主義、ベルクソンの生の哲学、フッサールの現象学、実存主義など色々な方向に試みが進められたが、経験についてはアメリカのプラグマティズムにおいて重要な意義を持った[4]。 ジェームズの純粋経験において経験は内面的で精神的な性格が強かったが[20]、デューイにおいて経験とは、歴史的かつ社会的な現実における人間の全ての行動と同じ意義を持つという地点にまで拡張された。特定の環境で人が生きていくには、過去の様々な経験を収集し整理することで、整理された経験を仮説として新しい経験を構成し獲得していくことにほかならないとデューイは論じている。哲学の役割は経験構成の方法論的な反省行為であり、このとき哲学は科学の経験を高度に活用するが科学そのものを人間的経験の一段階として人間の生き方としてとらえている[4]。
脚注
参考文献
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