利用者:裏言霊伝道師/加筆下書き以下は下書きです。各種テンプレート・カテゴリ付け等は行っておりません。以下の内容への疑問・ご質問・ご要望等は、直接私のノートまでお願い致します。 ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット(Visconti Sforza Tarocchi)は、15世紀後半にミラノを統治していたヴィスコンティ家及びスフォルツァ家が、画家に描かせたタロットカードの名称、またはそのデザインの総称。現存する最古のタロットとして知られる。 概要ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットは、1441年から1450年代の前半辺りに、イタリア・ミラノに於いて、当時のミラノ公であったヴィスコンティ家、並びにスフォルツァ家のために、当時の宮廷画家を務めていたフランチェスコ・ザヴァッターリ、或いは、ザヴァッターリの下で絵を学び、スフォルツァ家の仕事も行っていたボニファッキオ・ベンボ(Bonifacio Bembo)によって製作されたと見られている、手書きのタロットカードである。 現存する当時のカードは271枚発見されており、アメリカのタロット研究者であるスチュワート・キャプランによって、それぞれのサイズやデザイン等の統一性を基に、15種類のセットに分類されている [1]。この内、最も多く分類されたものは74枚であり、一般的に「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」と呼ばれ親しまれているものは、これらのカードを指したものである。この74枚のカードの内、34枚がニューヨークのモルガン図書館に、26枚がベルガモのアッカデミア・カッラーラに、13枚が同じくベルガモに居を構える個人のコレクションとして、それぞれ保管されており、専門家の間では他に分類されたカードと区別する為、保管されている場所に因む形で、モルガン(モーガンとも)・ベルガモパック(Morgan Bergamo Pack)、または、ピアポント・モルガン・ベルガモパック(Pierpont Morgan Bergamo Pack)などと呼称されている。 現在、一般的となっているタロットカードの構成は、大アルカナ22枚に小アルカナ56枚の、計78枚であるが、この74枚の構成は、現在のものとほぼ同様の構成となっており、小アルカナのスートには棍棒・杯・金貨・剣が採用され、人物カードには「キング」・「クイーン」・「ナイト」・「ペイジ」が確認できる。大アルカナの方も「悪魔」と「塔」の残されていない2枚を除き、カードの絵柄は後年に作成されたものと酷似する部分も多く、大アルカナでは殆どのカードに於いて、マルセイユ版などのモチーフと同様のものが確認できる。このことから、ヴィスコンティ・スフォルツァ版が作成された当時には、既にタロットカードのモチーフは一般的に確立されていたものであった、と考察する研究者も多い(歴史に詳述)。 カード一枚ごとに与えられた名前は、現在、一般的となっているタロットに準拠したものとなっている。これは上図(ヴィスコンティ・スフォルツァ版の女教皇)で確認できる通り、発見されたカードにはマルセイユ版などに見られるようなカードの名前欄が設けられておらず、発見当時には各カードごとの名称は不明であった。このため、カードの絵柄などから判別され、現代で採用されている名前が当てはめられたのである。しかし、当時発見されたカードには、現代で一般的となっているカードと一致しない大アルカナが3枚、小アルカナの人物カードが6種類存在しているものも発見されている。これらはイェール大学の図書館に所蔵されたもので、大アルカナ11枚、小アルカナ56枚の計67枚に分類されており、専門家の間ではケーリー(カーリー)・イェールパック(Cary Yale Pack)などと呼称されている。このケーリー・イェールパックについて、タロット研究者として知られるマイケル・ダメットは、タロットカードのモチーフが一般的に確立される以前の作品であると考察しており、これに基づく形で、発見された271枚の中では最古の部類として位置付けられている。 歴史
歴史上、「タロットカード」に関する最古のものとして正確な記録が発見されたのは、当時のフェラーラの領主であったエステ家の帳簿と見られており、現存する最古の記録として残されている(タロットの項を参照)。一方、同じイタリアはミラノに於いても、当時のミラノ公が、宝物庫係に「二つのトライアンフ[2]のカードパックを送ってくれるように」との旨を記した手紙が現存しており、日付は1450年12月11日となっている。これを指示した人物こそ、この頃、ミラノを統治していたヴィスコンティ家の当主、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの娘であるビアンカ・マリーア・ヴィスコンティとの婚姻によって、ミラノ公国の統治者となっていた人物、フランチェスコ・スフォルツァその人である。先に述べたモルガン・ベルガモパックの絵柄には、スフォルツァ家に由来する『3つのリングを重ねたエンブレム』が確認された為、スフォルツァ家の為に作成されたものとされている。最も、同パックにはヴィスコンティ家に由来する象徴(月桂樹と棕櫚の枝葉の模様が、それぞれ人物の衣服などに描かれている)が取り入れられているものの、当時の政治的配慮やビアンカ・マリーアの存在といった側面から、およそ間違いの無い説と見られている。 正確な製作年は不明であるが、カードに描かれた象徴や、作者として見られている人物の活動時期、さらにフィリッポ・マリーア、及びフランチェスコの生存時期等から、おそらく15世紀中頃に作成されたものとして間違い無いと考えられている。しかし先に述べた通り、発見された271枚のカードは15種類に分類されている為、一概に全ての種類のカードが同時期に作成された訳ではなさそうである。その中でも、モルガン・ベルガモパックについてはフランチェスコがミラノ公として即位した1450年以前とは考え難いとされ、作成年はそれ以降と見られている。またタロット研究者であるロナルド・デッカーは67枚に分類されたケーリー・イェールパックの「愛(恋人)」に描かれた男性をフランチェスコとして推定し、このカードの場面を『フランチェスコとビアンカ・マリーアの結婚式』であると仮説を立てている。この仮説によると、フランチェスコとビアンカ・マリーアの婚姻は1441年、さらにヴィスコンティ家の紋章(右図の「蝮」)やフィリッポ・マリーアの個人的な図であった「結ばれた垂れ幕」といった象徴が使われている点などからフィリッポ・マリーアの存命中に作成されたものと推定することが出来る為、ケーリー・イェールパックについては1441年から1447年の間で作成されたものとして推測することができる。
このヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットの作者は、その作風・画風の特徴などから、画家のボニファッキオ(ボニファチオ、ボニファシオ)・ベンボ(Bonifacio Bembo)であるとの説が現在では有力な説となっている。しかし、当時の記録に「ヴィスコンティ家の為に何らかの仕事を行った」という明確な記録が無い為、後に美術史家のジュリアーナ・アルゲリはベンボが徒弟修業に就いていたザヴァッターリ兄弟の一人、フランチェスコ・ザヴァッターリを候補として挙げ、マイケル・ダメットなどはこれに賛意を示している。 欠落した「悪魔」と「塔」ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットには、発見された271枚全てのカードを確認するも、現在に於ける「悪魔」、並びに「塔」として分類できる2種類の絵柄のカードが確認されていない。この欠落した2枚のカードについては、現在に於いても、最初から存在しなかったのか、歴史の中で紛失されたのか、明確な結論は出されていない。この2枚のカードを巡る議論の例として、次のような仮説が挙がる。
いずれの説に於いても、確固たる資料や文献、文書等が残されていない為、あくまで仮説の域を出ない。この為、欠落した2枚のカードを巡る議論は現在に於いても明確な結論は出されておらず、今後も出される可能性は低いと考えられている。 市販されているカード脚注
参考文献
関連項目 |
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