藤沢町立徳田小学校
藤沢町立徳田小学校(ふじさわちょうりつ とくだしょうがっこう)は、岩手県東磐井郡藤沢町(現:一関市藤沢町)にあった公立小学校。略称は徳小(とくしょう)。
隣接していた藤沢町立徳田保育園についても記載する。
概要
学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2009年をもって閉校した小学校である[4]。校名に「徳田」を冠していたのは、この地区一帯を指す地名が由来する。なお校名は、勅令や設置自治体の変遷などによって6回変更しており、閉校時の校名(藤沢町立徳田小学校)を名乗ったのは1955年からである[6]。
校歌は新旧2つある。旧校歌は千葉春村が作詞を手掛けたが、作曲者は不明であり、制定された時期も不明である。歌は2番までで、リズムは4分の2拍子となっている。新校歌は開校百周年に際して作成され、荒川協平が作詞し、千葉了道が作曲を手掛けた。リズムは4分の4拍子で、調はヘ長調である[9]。歌は4番まであり、地区の東に聳える「黄金山」や学校前を流れる「徳田川[注 1]」などの地域性を表す語句が含まれている。また、各番の最後は「徳田小学校 わが母校」で統一している。
隣接する藤沢町立徳田保育園と幼小連携教育を行っていた。藤沢町が進める連携教育の一環として、校長は保育園の園長を兼務したり、児童は園児と一緒に遊ぶなどして交流を重ねていた[6][13]。
閉校後、体育館は後述するコミュニティ体育館に転用されている。
特色ある教育活動
俳句
俳句活動
'86年にNHKらじおで全国放送
田植え踊り
田植え踊り
1997年オーストラリア公演
スポーツ少年団
ソフトボール部、郡大会で3年連続優勝
卓球部
沿革
創立期
徳田小学校の起源は、1872年(明治5年)8月に発せられた学制にある。村単位で公立学校を設けるように命じられ、徳田村にも早急な設置が求められた。徳田村における教育は学制発布以前から行われており、村内各地で私塾が開かれていた。そのうちの一つで、かつ村役場を置く安栄山西光寺(徳田字馬場44番地)に学校を設けることとし、翌1873年(明治6年)5月に第七大学区二十中学徳田小学(別名:徳田村公立小学校)を開校した。その後、1876年(明治9年)には校名を「岩手県公立徳田小学校」に改めた。開校当初の児童は男子が圧倒的に多く、女子がいない年も見られた[15][16][17]。
1886年(明治19年)、開校した西光寺は仮校舎であったため、戸長の館沢豊三郎が移転に乗り出した。地区の有志と校舎を設計し、寺の下にある砂子田川沿いの畑地を建設場所に定めた。この土地は元戸長の星惣七[注 2]とほか1名から寄付されたもので、面積は776坪(≒2,565.29 m2)であった。先行して教員住宅から建設に着手し、校舎は1890年(明治23年)11月から取り掛かった。校舎に用いた材料は、元岩手県会議員でのちに八沢村長となる佐藤亮助から寄付された。当時の村長や先述した寄府者などが昼夜を分かたず建設にあたり、翌1891年(明治24年)に縦4間半・横9間の木造2階建て校舎を落成した。一連の工事にかかった費用約780円は、地区の有志からの寄付で賄った。その後「八沢村立徳田尋常小学校」に改称し、同年11月には開校式を行った。この頃の児童数は記録が残っていないが、学級は1クラスであった。
仮見出し---
1900年(明治33年)9月、小学校令が改正されたことにより、翌1901年(明治34年)に補習科を開設するも、3年後の1904年(明治37年)に廃止した。1907年(明治40年)3月には再度小学校令が改正され、修業年限が4年から6年に延長された。既存の教室は2部屋しかないため、新たに校舎を設けることにした。校舎西側にある教員住宅に
戦後
k
[22]給食センターからの給食開始:中p464
仮見出し
閉校後
校舎の活用、体育館
年表
- 1873年(明治6年)5月 - 「第七大学区二十中学徳田小学」(別名:徳田村公立小学校)として、西光寺を仮校舎として開校。
- 1876年(明治9年)5月 - 「岩手県公立徳田小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)
- 校舎を落成し、移転。
- 4月 - 「八沢村立徳田尋常小学校」に改称。
- 11月20日 - 開校式を挙行。
- 1895年(明治28年)5月 - 補習科を開設。
- 1901年(明治34年)5月 - 小学校令改正に伴い、補習科を開設(1904年3月廃止)。
- 1907年(明治40年) - 裁縫科と唱歌科を加設。
- 1908年(明治41年)4月 - 西校舎を落成。
- 1909年(明治42年)
- 1921年(大正10年)6月9日 - 農業補習学校に後期部を新設し、八沢農業補習学校に改称。
- 1926年(大正15年) - 青年訓練所令施行に伴い、徳田青年訓練所を併設。
- 1930年(昭和5年)
- 1935年(昭和10年)6月11日 - 青年学校令施行に伴い、八沢村立徳田青年学校を併設。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「八沢村立徳田国民学校」に改称[32]。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 八沢村立八沢青年学校を併設(1948年3月廃止)。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「八沢村立徳田小学校」に改称。八沢村立八沢中学校徳田分教室を併設。
- 1952年(昭和27年)5月 - 新校舎を落成。
- 1953年(昭和28年)10月 - 校庭を拡張。教員住宅を移転。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併に伴い、「藤沢町立徳田小学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)5月17日 - 講堂(313 m2)を落成[37]。
- 1964年(昭和39年)1月 - 徳田小学校子ども会の歌を制定[6]。
- 1972年(昭和47年)11月 - 第11回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「学校褒賞」を受賞。
- 1973年(昭和48年)11月8日 - 新校歌と校旗を制定。
- 1974年(昭和49年)4月 - 給食を開始。
- 1976年(昭和51年)
- 4月 - 教員住宅を解体。
- 7月 - プールを落成。
- 1977年(昭和52年)11月 - 第16回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「須藤賞」を受賞[6]。
- 1979年(昭和54年)3月 - 新校舎を落成。
- 1982年(昭和57年) - 徳田保育所との幼小連携教育を開始。
- 1986年(昭和61年)
- 1月 - 全国学生俳句大会にて文部大臣賞を受賞。
- 4月 - 徳田田植え踊り保存会を結成。
- 1989年(平成元年)12月 - 屋内運動場を落成。
- 1990年(平成2年)4月 - 校庭を拡張。
- 1992年(平成4年)8月 - 観察池を設置。
- 1998年(平成10年)1月 - 岩手県健康安全優良校として表彰。
- 2004年(平成16年) - 読書活動フロンティアスクールに指定(2006年度まで)。
- 2006年(平成18年)
- 一関地方図書館フロンティア校に指定[6]。
- 5月 - 学校図書ボランティア団体「もりの会」を結成。
- 11月 - スクールガードボランティア団体を結成。
- 2008年(平成20年)
- いわて型コミュニティスクール推進校に指定[6]。
- 5月 - 日本善行会より春季善行として表彰。
- 2009年(平成21年)
閉校後
- 2010年(平成22年)4月1日 - 体育館を「コミュニティ体育館徳田ふれあいランド」として開設。
コミュニティ体育館徳田ふれあいランド
指定管理者制度を導入しており、徳田地区住民自治協議会が担っている。
施設概要
主な施設。
- 校舎(1,450 m2[2]) - 1979年竣工の鉄筋コンクリート造3階建て
- 体育館(830.9 m2[45]) - 1989年竣工の鉄骨造平屋建て[45]
- 校庭
- プール(600 m2[2]) -
- 観察池
児童・学級数
年度以降の児童数と学級数の推移。1875年度から1877年度、1907年度以降は毎年度掲載。
年度
|
児童数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1875(明治8)年度
|
75
|
|
不明
|
[15]
|
|
1876(明治9)年度
|
50
|
-25
|
[16]
|
|
1877(明治10)年度
|
49
|
-1
|
[47]
|
|
1881(明治14)年度
|
39
|
-10
|
[17]
|
|
1907(明治40)年度
|
206
|
167
|
2
|
|
|
|
1908(明治41)年度
|
207
|
1
|
3
|
1
|
|
|
1909(明治42)年度
|
141
|
-66
|
不明
|
|
補習学校開設
|
1910(明治43)年度
|
161
|
20
|
5
|
|
[51]
|
|
1911(明治44)年度
|
140
|
-21
|
不明
|
|
|
1912(明治45)年度
|
168
|
28
|
|
1913(大正2)年度
|
125
|
-43
|
2
|
|
|
学級数は尋常科のみ
|
1914(大正3)年度
|
125
|
0
|
2
|
|
1915(大正4)年度
|
126
|
1
|
3
|
|
1916(大正5)年度
|
136
|
10
|
3
|
|
1917(大正6)年度
|
138
|
2
|
3
|
|
1918(大正7)年度
|
144
|
6
|
5
|
|
[52]
|
|
1919(大正8)年度
|
150
|
6
|
不明
|
|
|
1920(大正9)年度
|
143
|
-7
|
|
1921(大正10)年度
|
140
|
-3
|
|
1922(大正11)年度
|
128
|
-12
|
5
|
|
[53]
|
|
1923(大正12)年度
|
131
|
3
|
不明
|
|
|
1924(大正13)年度
|
139
|
8
|
|
1925(大正14)年度
|
147
|
8
|
|
1926(大正15)年度
|
159
|
12
|
3
|
|
[54]
|
|
1927(昭和2)年度
|
173
|
14
|
不明
|
|
|
1928(昭和3)年度
|
180
|
7
|
|
1929(昭和4)年度
|
191
|
11
|
|
1930(昭和5)年度
|
190
|
-1
|
5(1)
|
|
|
高等科開設
|
1931(昭和6)年度
|
202
|
12
|
5(1)
|
0
|
[56]
|
|
1932(昭和7)年度
|
211
|
9
|
5(1)
|
0
|
|
|
1933(昭和8)年度
|
224
|
13
|
5(1)
|
0
|
[57]
|
|
1934(昭和9)年度
|
217
|
-7
|
6(1)
|
1
|
[58]
|
|
1935(昭和10)年度
|
217
|
0
|
7(不明)
|
1
|
|
|
1936(昭和11)年度
|
220
|
3
|
7(不明)
|
0
|
|
1937(昭和12)年度
|
212
|
-8
|
8(2)
|
1
|
|
1938(昭和13)年度
|
205
|
-7
|
8(2)
|
0
|
|
1939(昭和14)年度
|
210
|
5
|
8(2)
|
0
|
|
1940(昭和15)年度
|
226
|
16
|
8(2)
|
0
|
|
1941(昭和16)年度
|
218
|
-8
|
7(1)
|
-1
|
|
|
1942(昭和17)年度
|
214
|
-4
|
7(1)
|
0
|
|
1943(昭和18)年度
|
206
|
-8
|
6(1)
|
-2
|
|
1944(昭和19)年度
|
243
|
37
|
6(1)
|
0
|
|
|
1945(昭和20)年度
|
223
|
-20
|
6(1)
|
0
|
|
1946(昭和21)年度
|
210
|
-13
|
6(1)
|
0
|
|
1947(昭和22)年度
|
218
|
8
|
6
|
0
|
6・3制施行
|
1948(昭和23)年度
|
214
|
-4
|
6
|
0
|
|
|
1949(昭和24)年度
|
196
|
-18
|
6
|
0
|
|
1950(昭和25)年度
|
204
|
8
|
6
|
0
|
|
1951(昭和26)年度
|
184
|
-20
|
6
|
0
|
|
1952(昭和27)年度
|
177
|
-7
|
6
|
0
|
|
1953(昭和28)年度
|
167
|
-10
|
6
|
0
|
|
|
1954(昭和29)年度
|
176
|
9
|
6
|
0
|
|
1955(昭和30)年度
|
202
|
26
|
6
|
0
|
|
|
1956(昭和31)年度
|
197
|
-5
|
6
|
0
|
|
|
1957(昭和32)年度
|
211
|
14
|
6
|
0
|
|
1958(昭和33)年度
|
222
|
11
|
6
|
0
|
|
1959(昭和34)年度
|
226
|
4
|
6
|
0
|
|
1960(昭和35)年度
|
213
|
-13
|
6
|
0
|
|
|
1961(昭和36)年度
|
199
|
-14
|
6
|
0
|
|
|
1962(昭和37)年度
|
202
|
3
|
6
|
0
|
|
1963(昭和38)年度
|
180
|
-22
|
6
|
0
|
|
1964(昭和39)年度
|
171
|
-9
|
6
|
0
|
|
1965(昭和40)年度
|
162
|
-9
|
6
|
0
|
|
1966(昭和41)年度
|
151
|
-11
|
6
|
0
|
|
1967(昭和42)年度
|
141
|
-10
|
6
|
0
|
|
1968(昭和43)年度
|
123
|
-18
|
6
|
0
|
[61]
|
|
1969(昭和44)年度
|
129
|
6
|
6
|
0
|
|
|
1970(昭和45)年度
|
125
|
-4
|
6
|
0
|
|
|
1971(昭和46)年度
|
116
|
-9
|
6
|
0
|
|
1972(昭和47)年度
|
108
|
-8
|
6
|
0
|
|
1973(昭和48)年度
|
101
|
-7
|
6
|
0
|
[62]
|
|
1974(昭和49)年度
|
99
|
-2
|
6
|
0
|
[63]
|
|
1975(昭和50)年度
|
88
|
-11
|
6
|
0
|
[64]
|
|
1976(昭和51)年度
|
78
|
-10
|
6
|
0
|
[65]
|
|
1977(昭和52)年度
|
69
|
-9
|
5
|
0
|
[66]
|
複式学級発生
|
1978(昭和53)年度
|
69
|
0
|
5
|
0
|
[67]
|
|
1979(昭和54)年度
|
63
|
-6
|
5
|
0
|
[68]
|
|
1980(昭和55)年度
|
67
|
4
|
5
|
0
|
[69]
|
|
1981(昭和56)年度
|
66
|
-1
|
5
|
0
|
[70]
|
|
1982(昭和57)年度
|
73
|
7
|
6
|
1
|
[71]
|
複式学級解消
|
1983(昭和58)年度
|
80
|
7
|
6
|
0
|
[72]
|
|
1984(昭和59)年度
|
80
|
0
|
6
|
0
|
[73]
|
|
1985(昭和60)年度
|
94
|
14
|
6
|
0
|
[74]
|
|
1986(昭和61)年度
|
86
|
-8
|
6
|
0
|
|
|
1987(昭和62)年度
|
90
|
4
|
6
|
0
|
|
1988(昭和63)年度
|
90
|
0
|
6
|
0
|
|
1989(平成元)年度
|
90
|
0
|
6
|
0
|
|
1990(平成2)年度
|
74
|
-16
|
不明
|
|
|
1991(平成3)年度
|
66
|
-8
|
|
1992(平成4)年度
|
68
|
2
|
5
|
|
|
1993(平成5)年度
|
61
|
-7
|
不明
|
|
|
1994(平成6)年度
|
60
|
-1
|
|
1995(平成7)年度
|
55
|
-5
|
|
1996(平成8)年度
|
53
|
-2
|
|
1997(平成9)年度
|
54
|
1
|
5
|
|
|
|
1998(平成10)年度
|
58
|
4
|
5
|
0
|
|
1999(平成11)年度
|
57
|
-1
|
5
|
0
|
|
2000(平成12)年度
|
52
|
-42
|
5
|
-1
|
[78]
|
|
2001(平成13)年度
|
56
|
4
|
5
|
0
|
[79]
|
|
2002(平成14)年度
|
62
|
6
|
6
|
1
|
[80]
|
複式学級解消
|
2003(平成15)年度
|
56
|
-6
|
5
|
-1
|
[81]
|
複式学級発生
|
2004(平成16)年度
|
52
|
-4
|
5
|
0
|
[82]
|
|
2005(平成17)年度
|
54
|
2
|
5
|
0
|
[83]
|
|
2006(平成18)年度
|
49
|
-5
|
5
|
0
|
[84]
|
|
2007(平成19)年度
|
45
|
-4
|
4
|
-1
|
[85]
|
|
2008(平成20)年度
|
40
|
-5
|
4
|
0
|
[86]
|
閉校
|
※学級数内の括弧は高等科の学級数(内数)
|
学区
開校時から藤沢町徳田地区を学区としていた。藤沢町の北東部を占める徳田地区は、
進学先の中学校
- 藤沢町立八沢中学校(藤沢町新沼) - 1947年度から1968年度
- 藤沢町立藤沢中学校八沢校舎(藤沢町新沼) - 1969年度から1971年度
- 藤沢町立藤沢中学校(藤沢町藤沢) - 1972年度以降
藤沢町立徳田保育園
サブプールを借用していた。町内でも水深深い
アクセス
徳田地区の中央部、砂子田川沿いに位置していた。
自動車
周辺
関連項目
脚注
注釈
- ^ 現在の砂子田川を指している[10]。校歌作成当時、黄金山から流れる揚戸渓と山口渓が合流する地点から、大平川へ注ぐ砂子田字銭塚までを徳田川と称していた[11]。
- ^ 星惣七はこのほか、1873年に学資金として金65両(≒2.45 kg)を寄付している。
出典
参考文献
でふぁうるとそおと・きゃっと
DEFAULTSORT→ふしさわちようりつとくたしよう
Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:ふしさわちようりつとくた、一関市の歴史:ふしさわちようりつとくたしようかつこう、学校記事
リダイレクト
リダイレクト→藤沢町立徳田保育園/ふしさわちようりつとくたほいくえん/日本の公立保育所:ふしさわちようりつとくた、一関市の建築物、一関市の歴史、1974年開業の施設、2009年廃止の施設
略リダイレクト→徳田保育園
リダイレクト→コミュニティ体育館徳田ふれあいランド/こみゆにていたいいくかんとくたふれあいらんと/東北地方の屋内競技施設、岩手県のスポーツ施設、一関市の建築物、廃校活用施設、1989年竣工の日本の建築物、2010年開設のスポーツ施設
略リダイレクト→徳田ふれあいランド/とくたふれあいらんと