一関市立津谷川小学校
一関市立津谷川小学校(いちのせきしりつ つやがわしょうがっこう)は、岩手県一関市室根町にあった公立小学校。
概要
学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2009年をもって閉校した小学校である。
沿革
- 1873年(明治6年)10月 - 「津谷川小学校」として、津谷川字町の榊原堅盤別宅を借用して開校。上津谷川分教場と下津谷川分教場を開設。
- 1874年(明治7年) -
- 2009年(平成21年)
- - 閉校式を挙行。
- 3月31日 - 一関市立室根西小学校への統合に伴い、閉校。
児童・学級数
アクセス
周辺
- 津谷川簡易郵便局
- 室根交流促進センター
- 千厩警察署津谷川駐在所
脚注
出典
参考文献
- 室根村史編纂委員会 編『室根村史 下巻』室根村、2004年3月31日。
関連項目
でふぉ・きゃっと
でふぉ→いちのせきしりつつやかわしよう
きゃっと→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:つやかわ、一関市の歴史:つやかわしようかつこう、学校記事
岩手県立千厩東高等学校
岩手県立千厩東高等学校(いわてけんりつ せんまやひがしこうとうがっこう、英: Iwate Prefectural Senmayahigashi High School)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立高等学校。略称および通称は東高(ひがしこう)。
概要
1974年に岩手県立千厩高等学校から分離して開校し、2002年をもって千厩高校への統合により閉校した高等学校である。千厩字石堂に所在し、千厩高校は駒場校舎(現:一関市立千厩小学校)に移転した。片倉教室は
出典置き場[1][2][3][4][5][6][7]
沿革
千厩農業高校
千厩東高校
設置学科
- 全日制課程
- 産業技術科 - 1986年度設置
- 生産技術科 - 1993年度設置
- 定時制課程
廃止学科
課程
|
学科・コース
|
設置年度
|
廃止年度
|
備考
|
全日制課程
|
農業科
|
1974年度
|
1994年度
|
|
畜産科
|
1974年度
|
1970年代
|
|
生活科
|
1974年度
|
1989年度
|
|
生活科学科
|
1988年度
|
1994年度
|
|
定時制課程
|
普通科建築コース
|
1981年度
|
1981年度以降
|
|
部活動
運動部
施設概要
主な施設を掲載。
- 体育館 - 鉄骨造平屋建て
- 柔剣道場(356.92 m2)- 鉄筋コンクリート造平屋建て
- 部室(256 m2)- 鉄骨造2階建て
- 第一グラウンド
- 第二グラウンド(10,200 m2)
- 産業技術科棟(1,848.96 m2)- 鉄筋コンクリート造2階建て
- 産業技術科実習棟
- 生産技術科棟
- 生産技術科実習棟(969.92 m2)- 鉄筋コンクリート造2階建て
- 農業実験実習棟(486 m2)- 鉄筋コンクリート造
- 牛舎(423 m2)
- 農場管理棟(264 m2)
生徒・学級数
年度
|
定員
|
生徒数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1974(昭和49)年度
|
|
不明
|
不明
|
|
開校
|
1975(昭和50)年度
|
|
|
畜産科募集停止、農業科+2
|
1981(昭和56)年度
|
|
|
建築コース開設
|
1986(昭和61)年度
|
160
|
|
産業技術科開設
|
1993(平成5)年度
|
|
農業科・生活科学科募集停止、生産技術科開設、産業技術科+1
|
1998(平成10)年度
|
359
|
|
12
|
|
[11]
|
|
1999(平成11)年度
|
不明
|
不明
|
|
|
2000(平成12)年度
|
365
|
|
9
|
|
[12]
|
|
2001(平成13)年度
|
368
|
3
|
9
|
0
|
[13]
|
閉校
|
周辺
脚注
出典
関連項目
外部リンク
公式サイト
でふぉるとそーと・Cat
DEFAULTSORT→いわてけんりつせんまやひかしこうとう
かてごり→岩手県の公立高等学校 (廃止):せんまやひかし、一関市の高等学校:せんまやひかし、一関市の歴史、学校記事
千厩町立清田中学校
千厩町立清田中学校(せんまやちょうりつ きよたちゅうがっこう)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立中学校。略称は清中(きよちゅう)。
一関市立清田小学校(当時:千厩町立)を併設していた。
概要
沿革
生徒・学級数
1949年度以降の生徒数と学級数の推移。1957年度以降は毎年度掲載。
年度
|
生徒数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1949(昭和24)年度
|
119
|
|
3
|
|
[4]
|
|
1952(昭和27)年度
|
不明
|
3
|
0
|
[5]
|
|
1955(昭和30)年度
|
119
|
0
|
3
|
0
|
[6]
|
|
1957(昭和32)年度
|
114
|
-5
|
3
|
0
|
[8]
|
独立
|
1958(昭和33)年度
|
105
|
-9
|
3
|
0
|
[9]
|
|
1959(昭和34)年度
|
105
|
0
|
3
|
0
|
[10]
|
|
1960(昭和35)年度
|
128
|
23
|
3
|
0
|
[11]
|
|
1961(昭和36)年度
|
128
|
0
|
3
|
0
|
[12]
|
閉校
|
学区
進学前小学校
アクセス
国道284号沿い、清田テニスコートの場所に位置していた。
鉄道
バス
- 「小梨駅前」バス停(岩手県交通)から徒歩で約9分
- 「市道」バス停(同上)から徒歩で約10分
自動車
周辺
脚注
注釈
出典
参考文献
- 創立50周年記念事業実行委員会記念資料部 編『千厩町立小梨中学校創立50周年記念誌「時は流れて」』創立50周年記念事業実行委員会、1996年。
- 記念誌発行委員会 編『千厩町立小梨中学校閉校記念誌「時を超えて」』千厩町立小梨中学校閉校記念事業推進実行委員会、2000年3月31日。
- 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。
関連項目
でふぁうるとそおと・きゃっと
DEFAULTSORT→せんまやちようりつきよたちゆう
かてごり→岩手県の公立中学校 (廃止)、一関市の中学校:せんまやちようりつきよた、一関市の歴史:せんまやちようりつきよたちゆう、学校記事
千厩町立磐清水中学校
千厩町立磐清水中学校(せんまやちょうりつ いわしみずちゅうがっこう)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立中学校。略称は磐中(いわちゅう)。
概要
沿革
統合の経緯は5-p752
年表
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)3月6日 - PTAを発足。
- 1949年(昭和24年)
- 8月 - 養蚕活動を開始。
- 11月 - 校地を拡張し、校舎を増築ならびに裏庭を設置。落成式を挙行。
- 12月 - 理科室を改造。
- 1950年(昭和25年)
- 4月 - 学校前の山にからまつを1千本植樹。
- 学校周辺に桑園を設置。
- 1951年(昭和26年)
- 3月 - 校章を制定。
- 講堂を増築。
- 11月 - 東校舎を落成。
- 11月15日 - 落成式を挙行。
- 1952年(昭和27年)6月 - 校旗を制定。
- 1953年(昭和28年)
- 3月 - 子ども協同組合が県より表彰。
- 5月 - 放送局を開局。
- 7月 - 講堂や教室の床を張替。
- 12月 - 職員寮を落成。
- 1954年(昭和29年)1月 - 給食を開始。
- 1955年(昭和30年)2月 - 放送室を設置。給食調理室をを改造。
- 1956年(昭和31年)
- 水道を上水道に切り替え。
- 9月30日 - 町村合併に伴い、「千厩町立磐清水中学校」に改称。
- 1961年(昭和36年)
- 3月28日 - 廃校式を挙行。
- 3月31日 - 新制の千厩中学校への統合に伴い、閉校。
- 4月1日 - 「千厩町立千厩中学校磐清水校舎」に移行。
- 1963年(昭和38年)4月 - 磐清水校舎を廃止し、新校舎へ生徒を移動[8]。
部活動
卓球部と庭球部の功績 p678
施設概要
主な施設を掲載。
生徒・学級数
1947年度以降の生徒数と学級数の推移。
年度
|
生徒数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1947(昭和22)年度
|
118
|
|
3
|
|
|
開校
|
1948(昭和23)年度
|
134
|
16
|
|
|
|
|
1949(昭和24)年度
|
151
|
17
|
|
|
|
1950(昭和25)年度
|
137
|
-14
|
|
|
|
1951(昭和26)年度
|
147
|
10
|
|
|
|
1952(昭和27)年度
|
139
|
-8
|
|
|
|
1953(昭和28)年度
|
147
|
8
|
|
|
|
1954(昭和29)年度
|
141
|
-6
|
|
|
|
1955(昭和30)年度
|
161
|
20
|
|
|
|
1956(昭和31)年度
|
149
|
-12
|
|
|
|
1957(昭和32)年度
|
|
|
|
|
|
|
1958(昭和33)年度
|
121
|
|
3
|
|
[10]
|
|
1959(昭和34)年度
|
不明
|
3
|
0
|
[11]
|
|
1960(昭和35)年度
|
139
|
18
|
3
|
0
|
|
閉校
|
学区
進学前小学校
- 千厩町立磐清水小学校(のちの一関市立磐清水小学校)
アクセス
バス
周辺
脚注
出典
参考文献
- 磐清水村誌編纂委員会 編『磐清水村誌』磐清水公民館、1957年3月3日。
- 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。
関連項目
きゃっと・でふぉると
DEFAULT→せんまやちようりついわしみすちゆう
Cat→岩手県の公立中学校 (廃止)、一関市の中学校:せんまやちようりついわしみす、一関市の歴史、学校記事
一関市立清田小学校
- スポーツ少年団の活躍
1994年に、本校の「清田ソフトボールスポーツ少年団」が県大会に出場してからは各種大会で功績を残してゆき、1995年から2001年にかけては全国大会
藤沢町立保呂羽小学校
これらの活動を通じて地区との関係が築かれ、
学び舎に留まらず、地区の交流拠点と化した。学校行事には地区民かけつける、日常的に駆けつける
開かれた学校0611p10
スクールガードも地域民や保護者 広報07年5月 12p
一関市立奥玉小学校
一関市立奥玉小学校(いちのせきしりつ おくたましょうがっこう)は、岩手県一関市千厩町にあった公立小学校。略称は奥小(おくしょう)。
概要
沿革
分校
奥玉小学校下分校
奥玉小下
奥玉小学校上分校
学校目標
学校活動
付属施設
児童・学級数
学区
進学先の中学校
アクセス
周辺
脚注
出典
関連項目
外部リンク
公式サイト
きゃっと・でふぉるとそおと
DEFAULTSORT→いちのせきしりつおくたましよう
Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:おくたま、一関市の歴史、廃校活用施設、学校記事
金越沢ダム
金越沢ダム(かなごえざわダム)は、岩手県一関市藤沢町保呂羽にあるダム。ほろわ湖(ほろわこ)の別名をもつ。
概要
出典リスト:岩日2023年11月29日の記事
沿革
ギャラリー
脚注
出典
関連項目
外部リンク
でふぉ・きゃっと
でふぉ→かなこえさわだむ
きゃっと→日本のロックフィルダム、岩手県のダム、一関市、藤沢町、北上川水系
宮古市立愛宕小学校白浜分校
宮古市立愛宕小学校白浜分校(みやこしりつ あたごしょうがっこう しらはまぶんこう)は、岩手県宮古市白浜にあった公立小学校の分校。略称は白小。
概要
出典りすと:[2]
沿革
1963年に前川校長が死去したことを書く、市内の小学校の中では先駆けて完全給食を開始したことと市内唯一の米飯給食校であることをp70より書く、ほか給食に関することが書かれているので書く
学校林に関することをp71より書く
年表
教育目標
1986年度の教育目標。
明るく 健康な いきいきした子
- よく考え、行動する子
- 心が豊かで、思いやりのある子
- 健康で、たくましい子
年間行事
1986年度の主な学校行事。
1学期
- 4月 - 始業式、入学式、家庭訪問、児童総会
- 5月 - 遠足、運動会
- 6月 - 知能テスト、奉仕作業、映画教室
- 7月 - 浜開き、終業式(夏季休業)
2学期
- 8月 - 始業式、夏休み作品展
- 9月 - 水泳納め、後期児童会、写生会
- 10月 - 遠足、奉仕作業、マラソン大会、学習発表会
- 11月 - 映画教室、校庭整備作業
- 12月 - なわとび大会、大掃除、終業式(冬季休業)
3学期
- 1月 - 始業式、冬休み作品展
- 2月 - 新入児1日入学、児童会役員改選
- 3月 - 4年生おわかれ会、大掃除、修了式(学年末休業)
施設概要
主な施設を掲載。
- 校舎
- 屋内体育館(237 m2)
- 校庭(1,100 m2)
- 学校林
- 教員住宅(291 m2)
児童・学級数
学区
進学先の中学校
アクセス
周辺
- 宮古地区広域行政組合宮古市消防団 第15分団屯所(白浜コミュニティ消防センター)
- 白浜海嘯横死者精霊塔
脚注
出典
参考文献
関連項目
でふぉ・きゃっと
でふぉ→みやこしりつあたこしよう しらはまふんこう
きゃっと→Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、宮古市の学校:あたこ しらはま、宮古市の歴史:あたこしよう しらはまふんこう、学校記事
一関市立市野々小学校
一関市立市野々小学校(いちのせきしりつ いちののしょうがっこう)は、岩手県一関市萩荘にあった公立小学校。略称は市小(いちしょう)。
概要
沿革
年表
教育目標
- 進んで学びよく考える子ども
- 思いやりがあり助け合う子ども
- 健康でねばり強い子ども
出典:[1]
年間行事
施設概要
主な施設を掲載。
児童・学級数
学区
進学先の中学校
アクセス
バス
自動車
周辺
脚注
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
でふぉ・きゃっと
でふぉ→いちのせきしりついちののしよう
きゃっと→Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:いちのの、一関市の歴史:いちののしようかつこう、学校記事
一関市立釘子小学校
一関市立釘子小学校(いちのせきしりつ くぎこしょうがっこう)は、岩手県一関市室根町にあった公立小学校。略称は釘小(くぎしょう)。
概要
校歌は創立100周年の記念式典を行った1975年3月に制定されたもので、森山耕平が作詞し、千葉了道が作曲した[1]。
沿革
施設概要
主な施設を掲載。
児童・学級数
年度以降の児童数と学級数の推移。1903年度以降は毎年度掲載。
年度
|
児童数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1903(明治36)年度
|
93
|
|
|
|
|
|
1904(明治37)年度
|
90
|
-3
|
|
|
|
|
1905(明治38)年度
|
84
|
-6
|
|
|
|
|
1906(明治39)年度
|
93
|
9
|
|
|
|
|
1907(明治40)年度
|
96
|
3
|
|
|
|
|
1908(明治41)年度
|
134
|
38
|
|
|
|
|
1909(明治42)年度
|
145
|
11
|
|
|
|
|
1910(明治43)年度
|
146
|
1
|
|
|
|
|
1911(明治44)年度
|
153
|
7
|
|
|
|
|
1912(明治45)年度
|
149
|
-4
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1986(昭和61)年度
|
75
|
|
不明
|
|
|
1987(昭和62)年度
|
76
|
1
|
|
1988(昭和63)年度
|
74
|
-2
|
|
1989(平成元)年度
|
71
|
-3
|
|
1990(平成2)年度
|
74
|
3
|
|
1991(平成3)年度
|
71
|
-3
|
|
1992(平成4)年度
|
79
|
8
|
|
1993(平成5)年度
|
80
|
1
|
|
|
1994(平成6)年度
|
75
|
-5
|
|
1995(平成7)年度
|
81
|
6
|
|
1996(平成8)年度
|
81
|
0
|
|
1997(平成9)年度
|
85
|
4
|
|
1998(平成10)年度
|
77
|
-8
|
|
1999(平成11)年度
|
74
|
-3
|
|
2000(平成12)年度
|
68
|
-6
|
6
|
|
|
|
2001(平成13)年度
|
62
|
-6
|
6
|
0
|
|
|
2002(平成14)年度
|
55
|
-7
|
5
|
-1
|
|
複式学級設置
|
2003(平成15)年度
|
|
|
|
|
|
|
2004(平成16)年度
|
|
|
|
|
|
|
2005(平成17)年度
|
|
|
|
|
|
|
2006(平成18)年度
|
|
|
|
|
|
|
2007(平成19)年度
|
|
|
|
|
|
|
2008(平成20)年度
|
|
|
|
|
|
閉校
|
学区
進学先の中学校
- 室根村立矢越中学校(室根村矢越、現:室根町矢越) - 1970年度以前
- 室根村立室根中学校矢越校舎(室根村矢越、現:室根町矢越) - 1971年度から1972年度
- 一関市立室根中学校(室根町矢越) - 1973年度以降
アクセス
デマンドタクシー
自動車
周辺
脚注
出典
参考文献
- 室根村史編纂委員会 編『室根村史 下巻』室根村、2004年3月31日。
関連項目
でふぉ・きゃっと
でふぉ→いちのせきしりつくきこしよう
きゃっと→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:くきこ、一関市の歴史:くきこしようかつこう、廃校活用施設、学校記事